893ccという半端な数字は、アウトバーンの時速160kmから逆算されています
CBR900RRの排気量は「900を狙った数字」ではありませんでした。ホンダ公式に残る開発責任者の証言から、893ccがどう決まったのかを逆算の順序でたどります。あわせて「ファイアーブレードは誤訳」という説がどこまで確かめられるかも検証しました。
「900って、なんで900なの?」
レースの規定に合わせた750でもなく、各社が旗艦を並べた1000でもない。893ccという、どこにも属さない数字です。結論から書きます。この数字は、狙って置かれたものではありません。他の条件を全部先に決めた結果、最後に出てきた答えです。
開発責任者の馬場忠雄氏は、ホンダ公式サイトでこう語っています。
最初からあの900という数字があったわけではない
では何が先にあったのか。ドイツのアウトバーンと、時速160kmという速度でした。
1992年のCBR900RRは、水冷4ストDOHC4バルブ直列4気筒893cc、最高出力124PSを10,500回転、乾燥重量185kg、ホイールベース1,405mm。ホンダ公式はこの185kgについて、「この重量は、600ccのCBR600Fと同等です」と書いています。900ccクラスの心臓を、600ccクラスの体に載せた。その順番を作った計算が、893という数字の正体です。
逆算は、時速160kmから始まっています
馬場氏の説明は、驚くほど工学的です。まず目標にしたのは「最高速」ではありませんでした。
まず、ターゲットをドイツのアウトバーンに定めました。ライダーがフラッグシップモデルで求めている「速さ」はどのくらいなのだろう、ということを検討したわけですね。ご存知の通り、アウトバーンには速度無制限の区間があるわけですけど、相当の飛ばし屋さんならともかく、普通は時速160kmくらいがアベレージ。
「出せる最高速」ではなく「実際に使っている速度」を基準に置いたということです。そして、そこから条件を1つだけ足します。
だったらそのスピードまで、当時の1000ccクラスと同じくらいのタイムで加速できるようにしましょう、と。
160km/hまでの到達時間を、1000ccクラスと同じにする。 これが唯一の性能目標になりました。ここから先は、ほとんど計算です。
これはパワーウエイトレシオで決まってくるので、そこから何馬力出せばいいのかということも、どのくらいの排気量があればいいのかということもわかります。あくまでも、750ccのパッケージングを維持した上でね。そうして導きだしたのが、893ccという排気量だった。
注目したいのは最後の一文です。「あくまでも、750ccのパッケージングを維持した上で」。車体の大きさと重さは、動かせない前提として先に固定されていました。パワーウエイトレシオは、力と重さの比です。重さを固定して、必要な加速を指定すれば、必要な力が決まる。力が決まれば、排気量が決まる。 893ccは、この4つの条件を順番に通した出口でした。
「900ccを作ろう」と決めた人は、最後までいません。 車体を750のまま動かさないと決めた瞬間に、排気量は自動的に決まる側へ回されていた、という話です。
出発点は、身内を倒すことでした
この逆算の前に、そもそもの出発点があります。ホンダ公式によれば、CBR900RRは先行開発車のCBR750RRを土台にしています。そしてその先行開発の目標が、なかなかの内容です。
先行開発がスタートしたときの目標は、ずばり「鈴鹿8耐でHRCのワークスレーサー、RVF750に勝てるポテンシャルを持たせること」。
RVF750は、ホンダ自身のワークスマシンです。 自社の最強を仮想敵に置いて、それを上回る潜在能力を市販ベース車に持たせる、という設定から始まっている。その後に計画が変わり、750に縛られない方針になった結果、あの逆算が走ることになりました。
ここで生まれた設計思想には、名前が付いています。馬場氏によれば、日本語が先でした。
モデルをイメージするフレーズとして「操る事を最大限に満足させる」と定め各機能、性能を創り上げていった訳です。なお、このフレーズを英訳する際に適切なワードが無く、議論の末に「トータルコントロール」となったいきさつがあります。
「トータルコントロール」は、直訳ではありません。 適切な英単語が無くて、議論の末に決めた言葉だと、ホンダ自身が書いています。この会社が、日本語を英語に移すところで苦労した記録が残っている——この話は、後半でもう一度出てきます。
「軽い」の中身は、車体が1クラス小さいことです
スペック表の185kgという数字は、単体では意味が取りにくいと思います。体感に翻訳すると、こうなります。
またがった時に足の間にあるものは600ccの大きさで、右手をひねった時に出てくるものは1000ccクラスの加速。この2つが同じ車体に同居している状態です。当時を知るライダーの言葉が、ホンダ公式の対談に残っています。
これまでの常識で考えれば本来1000ccクラスに匹敵するようなボリュームがあってしかるべきなのに、ホイールベースは600cc並みだし、フレームの隙間から向こう側が透けて見えるくらいあらゆるものがコンパクトにつくられていたし、カウリングもびっくりするくらい薄かった。
そしてこの軽さは、大技で作られたものではありませんでした。5代目の開発時のエピソードとして、ホンダ公式にこんなやり取りが載っています。部品を単体で全部計った合計と、組み上げて計った実測値が500g食い違っていた、と報告したときの反応です。
『でも車体重量から計算すると、全体の0.5%ですよ?』って伝えたら『それでも、その0.5%が大切なんだ!!』って。
0.5%で怒られる。デカール1枚の重さまで議論されていたという話が、同じページに続きます。「軽さ=速さ」は標語ではなく、社内で毎日詰められる作業だったということでしょう。
「ファイアーブレードは誤訳」は、どこまで確かめられるか
ここからは、動画でお伝えした内容を、いったん検証し直す章です。動画では車名の由来を「誤訳」として紹介しました。コメント欄では、これに対して疑問が複数寄せられました。77件のコメント(返信を含む)のうち14件が車名に触れ、そのうち3件は誤訳という説明そのものを疑うものでした。もっともな指摘だと思います。
一次資料を2つに分けて整理します。ホンダの英国法人と、ホンダ日本の公式サイトで、書かれている内容が違います。
ホンダ英国の30周年記念ページには、こうあります。
And the name? A loose translation into English of the Japanese word for lightning…
「a loose translation」。訳すなら「ゆるい訳」「意訳」で、「間違えた」とは書かれていません。 ホンダ自身が公式に触れている以上、稲妻の語が出発点にあったという話に根拠はあります。ただし「誤訳」と断定できる表現ではありませんでした。動画の言い方は、ここを一段強めてしまっていたことになります。訂正します。
一方、ホンダ日本の公式サイトには、稲妻の話は出てきません。代わりに、馬場氏本人の言葉でまったく別の理由が説明されています。
ヨーロッパでは「900」という数字はあまり前面に出したくないということで、「FireBlade」という名前で売り出されることにはなったけれどね。
同じサイトの別ページには、もっとはっきり書かれています。
当初は「750」でも「1000」でもない中途半端な数字が敬遠されることを警戒し、敢えて排気量の表示を外した「FireBlade」という名称で販売された
「900」を隠すための名前だった、という説明です。
この2つは、矛盾していません。英国側が答えているのは「その単語はどこから来たのか」、日本側が答えているのは「なぜ数字ではなく名前で売ったのか」。別々の問いに、別々の答えが出ているだけです。ただし、どちらの公式も「誤訳」とは書いていません。 ここは正確に置き直しておきます。
そして、この記事で確認できなかったことも書いておきます。元になった日本語が具体的にどの語だったのかは、ホンダの公式資料では特定できませんでした。「稲妻を意味する日本語」としか書かれていないためです。コメント欄で「稲妻をどう訳したら fire blade になるのか」という指摘がありましたが、その中間の一語が公開されていない以上、検証しようがないというのが正直なところです。
皮肉なことに、この名前の話は前半とつながっています。 「操る事を最大限に満足させる」を英語にできず、議論の末に「トータルコントロール」へ落ち着いた会社です。ただし、これを誤訳説の裏づけとして使うことはできません。 別の言葉で苦労した記録があることと、車名が誤訳であることは、まったく別の話だからです。似た話がある、というだけのものとして置いておきます。
いま、現物で確かめられること
このバイクの設計思想は、いま乗っている自分のバイクで確かめられます。 必要なのは取扱説明書か、メーカーサイトの諸元表だけです。
1. 自分のバイクの「軸距(ホイールベース)」を調べて、1,405mmと比べる
諸元表のどこかに、たいてい載っています。CBR900RRは1,405mm。いま売られているリッタークラスのスーパースポーツは、これより長いものがほとんどです。逆に、600ccクラスやミドルツインと比べると近い数字が出てきます。 30年以上前の900ccが、現代のどのクラスと同じ寸法だったのか。数字を2つ並べるだけで分かります。
2. フロントホイールの径を見る
CBR900RRはフロントに16インチを履いていました。ホンダ英国は公式に、これを「the controversial decision to run a 16 inch front wheel」——物議をかもした決定、と書いています。いまのスーパースポーツはほぼ前後17インチです。サイドウォールのサイズ表記で、「ZR」や「R」のすぐ後ろに来る数字がホイールの径(インチ)です。 120/70ZR17 なら17インチ。ここを見れば、自分の車体がどちらかはすぐ分かります。 バネ下を軽くするためにここまでやった、という選択の痕跡です。
3. 初代を国内の中古車で探すと、たいてい「逆車」と書かれている理由
ホンダ公式は、2002年のCBR954RRについて「日本ではこのモデルから発売された」と明記しています。つまり初代CBR900RRは輸出専用車で、国内では正規販売されていません。中古車情報を見ていて並行輸入の表記が並ぶのは、このためです。当時の日本のライダーは、このバイクを雑誌で読むしかなかったということでもあります。
コメント欄から
いただいた77件のうち、いちばん「いいね」が集まったのは、軽さの中身についての指摘でした。73件です。
ガソリンが減っても前後の重量配分が変わらない等々の馬場氏のこだわりの結晶 / ただ軽いだけでは無い
「ただ軽いだけでは無い」。 この記事で見てきた通りで、ホンダ公式の説明でも繰り返し出てくるのは「軽量」と並んで「マスの集中化」という言葉です。同じ185kgでも、重いものがどこにあるかで動きが変わる。 スペック表に出てこないのは、まさにこの部分です。
実際に所有していた方の言葉も残っていました。
1995年型のCBR900RRに乗ってたけど、すげ〜バイクだった(中略)ライディングポジションも前傾がキツくて降りたけど忘れられないバイクです。
「前傾がキツくて降りた」と「忘れられない」が同居しているのが、このバイクらしいところだと思います。軽さと引き換えに小さく作られた車体は、乗り手を選ぶ方向にも働きました。
いっぽうで、この記事の前提に対する反論もありました。
いや全てを変えたのは初代YZF−R1だろ / 150馬力で177キロしか無いんだぞw / ぶったまげたわw
指摘そのものは、まっとうだと思います。 ただし、コメントに書かれた出力と重量の数値については、メーカー公式の諸元で確認できていないため、この記事では採りません。 そのうえで申し上げると、ここで比べるべきは順番のほうだと考えています。ホンダ公式に残る馬場氏の証言は、「エンジンパワー至上主義」の時代に、社内を説得するのにずいぶん時間がかかったという話です。
エンジンパワー、ナンバーワン。最高速、ナンバーワン。排気量、ナンバーワン。そういうものが売りやすい。乗り味は数字じゃわかりませんから、説得にはずいぶん時間がかかりました。
軽さで速さを買う、という発想そのものが社内で売りにくかった時代に、それを通したのが1992年です。どちらが偉いかではなく、どちらが先かという話として置いておきたいと思います。
なお、同時期に別の答えを出していたメーカーがあったという投稿もありました。
そして、スズキのRF900は、ほぼ同時期にひっそりと140馬力&重量約200キロを両立していた模様w
この数値については裏が取れていません。 スズキの当該モデルの公式諸元を確認できていないため、記事としては「そういう指摘があった」というところまでにとどめます。
出典
引用元
- Honda公式テクノロジー「CBR900RR/1000RR」Episode 00(最初からあの900という数字があったわけではない/まず、ターゲットをドイツのアウトバーンに定めました/普通は時速160kmくらいがアベレージ/だったらそのスピードまで、当時の1000ccクラスと同じくらいのタイムで加速できるようにしましょう/これはパワーウエイトレシオで決まってくるので、そこから何馬力出せばいいのかということも、どのくらいの排気量があればいいのかということもわかります。あくまでも、750ccのパッケージングを維持した上でね。そうして導きだしたのが、893ccという排気量だった/先行開発がスタートしたときの目標は、ずばり「鈴鹿8耐でHRCのワークスレーサー、RVF750に勝てるポテンシャルを持たせること」/モデルをイメージするフレーズとして「操る事を最大限に満足させる」と定め(中略)議論の末に「トータルコントロール」となったいきさつがあります/エンジンパワー、ナンバーワン。最高速、ナンバーワン。排気量、ナンバーワン。そういうものが売りやすい。乗り味は数字じゃわかりませんから、説得にはずいぶん時間がかかりました/ヨーロッパでは「900」という数字はあまり前面に出したくないということで、「FireBlade」という名前で売り出されることにはなったけれどね/宮城光氏の発言としてこれまでの常識で考えれば本来1000ccクラスに匹敵するようなボリュームがあってしかるべきなのに、ホイールベースは600cc並みだし、フレームの隙間から向こう側が透けて見えるくらいあらゆるものがコンパクトにつくられていたし、カウリングもびっくりするくらい薄かった):global.honda
- 同 Episode 01(当初は「750」でも「1000」でもない中途半端な数字が敬遠されることを警戒し、敢えて排気量の表示を外した「FireBlade」という名称で販売された/『でも車体重量から計算すると、全体の0.5%ですよ?』って伝えたら『それでも、その0.5%が大切なんだ!!』って):global.honda
- Honda公式「CBR Stories 1992」(新開発のエンジンは、水冷・4ストローク・DOHC・4バルブ直列4気筒893cc。最高出力は124PSを10,500回転で発揮する/乾燥重量は185kgという超軽量な車体を実現しました。この重量は、600ccのCBR600Fと同等です/先行開発車はCBR750RR/2002年CBR954RRについて日本ではこのモデルから発売された):global.honda
- Honda公式テクノロジー 年表(乾燥重量185kg、ホイールベース1,405mm/クラス最軽量、最コンパクトを実現):global.honda
- Honda UK「Fireblade Heritage」(And the name? A loose translation into English of the Japanese word for lightning…/Originally conceived as a 750cc model so as not to compete with the CBR1000F/Saving weight wherever possible was the aim, hence the controversial decision to run a 16 inch front wheel/馬場氏についてToday, Honda would call him the LPL (Large Project Leader)):honda.co.uk
確認できていないこと
- 「ファイアーブレード」の元になった具体的な日本語。ホンダ英国は「稲妻を意味する日本語のゆるい訳」とのみ記し、語そのものを挙げていません。したがって「誤訳かどうか」は検証できません
- ホンダ英国とホンダ日本で、開発の出発点の説明が一致していない点。英国側は「CBR1000Fと競合しないよう当初750ccとして構想された」、日本側は「鈴鹿8耐でRVF750に勝つため」と記しています。両立し得る説明ですが、両者を結ぶ記述は見当たりませんでした
- 最高出力の表記ゆれ。ホンダ公式の中でも「124PS」(CBR Stories)と「125馬力」(Episode 00)の両方が使われています。本記事は諸元として示されている124PSを採りました
- 仕向地ごとの諸元差。当時は輸出専用車で、市場ごとに出力や仕様が異なる可能性がありますが、各国仕様の公式諸元までは突き合わせていません
- コメントで挙がったスズキRF900の出力・重量。メーカー公式の諸元で確認できていません
- 初代の型式名や車台番号の表記。中古車の判別に使われる記号類は、今回参照したホンダ公式ページには記載がありませんでした
本記事のチェックポイント
- 893ccは狙った数字ではありません。車体を750のまま固定し、加速目標を決めた結果として出てきた答えです
- 基準に置いたのは最高速ではなく、アウトバーンの平均的な速度である時速160kmまでの到達時間でした
- 乾燥重量185kgは、ホンダ公式いわく600ccのCBR600Fと同等。ホイールベースは1,405mmです
- 先行開発の目標は自社のワークスマシンRVF750に勝てるポテンシャルを持たせることでした
- 車名について、ホンダ英国は「稲妻を意味する日本語のゆるい訳」と書いており、「誤訳」とは書いていません。動画の言い方は強すぎました
- ホンダ日本の説明はまったく別で、「900」という数字を前面に出さないための名前だとしています。2つは別々の問いへの答えです
- 今日できることは、自分のバイクの軸距を1,405mmと比べることと、フロントホイールの径を見ることの2つです
