集合管は1971年に生まれた──ヨシムラ公式年表で追うポップ吉村
78万回見ていただいた動画の補足です。いま当たり前にある集合マフラーは、1971年にレース用として試作され、翌1972年に市販が始まりました。ヨシムラ公式の年表から、その1年の意味を追いかけます。
「4本出しより、集合管のほうがいい音がする」
いまでは説明の要らない話です。動画では、その集合管を生み出した人物を扱いました。
補足したいのは、それが「いつ」だったのかです。
ヨシムラ公式の年表を見ると、集合マフラーが世に出た年月がはっきり書かれています。しかも、レース用の試作から市販まで、たった1年でした。順番に見ていきましょう。
公式年表に残る、その1年
ヨシムラの公式サイトに掲載されている沿革から、集合管に関わる部分を抜き出します。
1971年 世界初試作レース用集合マフラー、オンタリオ250マイルレースにてCB750に初めて装着。
1972年 世界初の市販集合マフラー、カワサキZ1/ホンダCB用発売開始。
レースで試したのが1971年。翌1972年にはもう売っている。
いまの感覚だと、レースで使った技術が市販品に落ちてくるまでには数年かかるものです。それが1年。当時のヨシムラが、どれだけ小回りの利く体制だったかが見えてくる数字ではないでしょうか。
なぜ集合させると良くなるのか
念のため、仕組みにも触れておきます。
エンジンは、排気バルブが開いた瞬間に、排気ガスの圧力の波を送り出しています。 この波は管の中を音速で進み、管の出口や途中の形状の変化で跳ね返って戻ってきます。
ここが肝心なところです。
- 戻ってきた波がちょうどいいタイミングで排気バルブのところに来ると、残っているガスを吸い出してくれる
- タイミングが合わないと、逆に押し戻してしまう
4本の管を1本にまとめるというのは、この波の跳ね返り方を、まとめて設計し直すということです。管の長さ、太さ、集合させる位置。その組み合わせで、どの回転数で力が出るかが決まる。
集合管が「軽くなるから速い」のではありません。排気の波の使い方を変えているから速いわけです。
この記事の立ち位置
動画は60秒の尺の都合で、人物の物語に絞って構成しています。 ここでは、ヨシムラ公式の年表から確認できる事実を補足しています。
創業は1954年、福岡
もうひとつ、公式年表から。
1954年 吉村秀雄(ポップ吉村)、九州福岡県にてヨシムラモータース創業。
福岡です。
いまや世界中のサーキットで見るあのロゴが、九州の一軒の店から始まっている。九州を走っている方にとっては、少し身近に感じられるところではないでしょうか。
そして年表は、こう続きます。
- 1971年 — ホンダCB750のヨシムラチューンドエンジンを供給し、デイトナ200マイルに出場
- 1972年 — 米国に進出、ヨシムラレーシング設立
- 1973年 — カワサキZ1で、3月のデイトナにおいてFIM公認のクローズドコース世界記録などを多数樹立
- 1975年 — 米国ヨシムラレーシングをヨシムラR&Dオブアメリカに改組
1954年に福岡で創業し、1972年にはアメリカに会社を作っている。 18年です。
最後の年表が示すもの
公式年表の締めくくりにあたる部分を、そのまま引用します。
1989年 吉村秀雄、会長に就任。
1995年 吉村秀雄会長、逝去。
2000年 吉村秀雄(ポップ吉村)AMA殿堂入り(本田宗一郎氏と共に日本人初)
日本人初のAMA殿堂入りが、本田宗一郎氏と同時。 そして、それは本人が亡くなって5年後のことでした。
集合管は、いまや珍しくもなんともありません。当たり前になったということは、それだけ完全に勝ったということでもあります。あなたのバイクのマフラーが1本にまとまっているなら、それは1971年から続いている答えです。
出典
引用元
- ヨシムラ公式サイト 沿革(1954年 九州福岡県にてヨシムラモータース創業/1971年 世界初試作レース用集合マフラーをオンタリオ250マイルレースでCB750に初装着/1972年 世界初の市販集合マフラー、カワサキZ1/ホンダCB用発売開始/1971年 デイトナ200マイル出場/1972年 米国進出・ヨシムラレーシング設立/1973年 Z1でFIM公認クローズドコース世界記録/1975年 ヨシムラR&Dオブアメリカに改組/1989年 会長就任/1995年 逝去/2000年 AMA殿堂入り):yoshimura-jp.com
注記
- 「世界初」はヨシムラ公式サイトの表記に基づいています。他社に先行例が無いことを当方で独自に検証したものではありません。
本記事のチェックポイント
- レース用の試作が1971年、市販開始が1972年。わずか1年で世に出ています
- 集合管の効果は軽量化ではなく、排気の圧力波の使い方を変えていること
- 創業は1954年、福岡県
- 1972年には米国進出。創業から18年です
- 2000年、本田宗一郎氏と共に日本人初のAMA殿堂入り(逝去から5年後)
