520万円で77馬力──ホンダNRが売っていたのは出力ではなかった
85万回見ていただいた動画の補足です。1気筒8バルブ・コンロッド2本の楕円ピストンで知られるホンダNR。しかし国内仕様の最高出力は77psでした。なぜその構造が必要だったのか、レギュレーションまで遡って整理します。
「520万円」
1992年のバイクの値段です。動画では、この数字と楕円ピストンの構造を軸に構成しました。
補足したいのは、この520万円のバイクの、国内仕様の最高出力が77psだったという事実のほうです。
同じころ、はるかに安いナナハンが100psを出していました。では、520万円は何の値段だったのか。 順番に見ていきましょう。
そもそも、なぜ楕円だったのか
答えは、レースのルールにあります。
NRの元になったのは、ロードレース世界選手権(WGP)に4ストロークで挑んだ「NR500」です。当時のGP500は2ストロークの時代でした。そして、こういう縛りがありました。
最大シリンダ数が4と制限されていたため、ホンダが得意としていた5気筒、6気筒エンジン等の多気筒エンジンは採用できなかった
さらに、
NRの開発が開始された当時のロードレース世界選手権のレギュレーションは、現在のMotoGPとは異なり4ストローク車に排気量のハンディキャップは与えられず
同じ排気量で、2ストロークと勝負しろ。しかも気筒数は4つまで。 これがスタートラインでした。
4ストロークが出力を上げるには、たくさんの空気を、速く出し入れする必要があります。そのためには気筒を増やすのがいちばん早い。ところが、増やせない。
そこでホンダが出した答えが、これでした。
従来の2つの気筒の円を直線で繋いだ形の長円ピストンを発想し、最大4気筒というWGPのレギュレーションを満たしつつ、V型8気筒と同じ32本の吸排気バルブを実現した
「4気筒のまま、V8と同じバルブ本数を持つ」。 ルールの文面は守りながら、中身だけV8にしてしまう。これが楕円ピストンの正体です。
数字で見ると、どれだけ異常か
市販されたNR(1992年)の主な数値です。
- 排気量:747cc
- ボア×ストローク:101.2×50.6×42mm(歴代ナナハン4気筒でもっともショートストローク)
- バルブ:楕円ピストンの上部に吸気4+排気4=8本
- コンロッド:下部に2本のチタンコンロッド
ピストン1個に、コンロッドが2本刺さっている。 楕円という形は、それ自体が異常なのではありません。その形を成立させるために、周辺のすべてが特殊になるところが異常なのです。
ボア表記に数字が3つ並んでいるのも見慣れないところではないでしょうか。楕円なので、長辺と短辺の両方を書かないと形が決まらないわけです。
それで、77ps
そして国内仕様の最高出力が77ps。フルパワー仕様で130psです。
77psという数字は、当時の国内の出力自主規制の枠に収まっています。つまり、この途方もないエンジンは、日本国内では本来の力を出せない状態で売られていたことになります。
ここで冒頭の問いに戻ります。520万円は、何の値段だったのか。
装備を並べてみると、見えてくるものがあります。
- ハンドメイドのカーボン外装
- チタンコートスクリーン
- センターアップマフラー
- ニカジルメッキシリンダー
- 16ビットのコンピュータを用いた電子制御式インジェクション
- ホンダ製ロードバイクで初の倒立フォーク
1992年です。カーボン外装も、センターアップマフラーも、電子制御インジェクションも、倒立フォークも、まだ当たり前ではありませんでした。
NRが売っていたのは出力ではなく、「レースで作ったものを、そのまま公道に置く」という体験のほうだったといえます。
この記事の立ち位置
動画は60秒の尺の都合で、楕円ピストンと価格に絞って構成しています。 ここでは、そこに至った理由と、その後に残ったものを補足しています。
いま振り返ると
1992年の日本国内での販売計画は300台とされています。
楕円ピストンそのものは、その後の市販車に受け継がれませんでした。あまりに特殊すぎたからでしょう。ただ、NRに載っていた装備のほうは、いま普通に売られているバイクのあちこちに残っています。 倒立フォークも、センターアップマフラーも、電子制御インジェクションも、いまや珍しくもありません。
技術が残るとき、残るのは主役ではなく脇役のほうだった。 NRを見ていると、そんなふうに思えてきます。
出典
引用元
- ヤングマシン「ホンダNR[名車バイクレビュー]」(747cc/ボア×ストローク101.2×50.6×42mm/吸気4+排気4=8本のバルブ/2本のチタンコンロッド/77ps/フルパワー仕様130ps/当時価格520万円/1992年から市販/ハンドメイドのカーボン外装・チタンコートスクリーン・センターアップマフラー・ニカジルメッキシリンダー・16ビットの電子制御式インジェクション/ホンダ製ロードバイク初の倒立フォーク):young-machine.com
- 日本語版Wikipedia「ホンダ・NR」(最大シリンダ数が4と制限/4ストローク車に排気量のハンディキャップは与えられず/長円ピストンでV型8気筒と同じ32本の吸排気バルブを実現/1992年の日本国内での販売計画は300台):ja.wikipedia.org
確認できていないこと
- ホンダ公式による市販NRの解説ページ。Honda Collection Hall の該当ページは確認できませんでした
- 実際の販売台数(計画300台に対する実績)
本記事のチェックポイント
- 楕円ピストンはWGPの「最大4気筒」というルールへの回答でした
- 4気筒のまま、V型8気筒と同じ32本のバルブを成立させるための形
- 1気筒あたり8バルブ・チタンコンロッド2本
- それでも国内仕様は77ps(フルパワー仕様で130ps)
- 520万円が買っていたのは出力ではなく、カーボン外装・倒立フォーク・電子制御インジェクションといった一式
- 楕円は残らず、周辺の装備のほうが現代に残りました
