ドゥカティ・アポロが大分にある理由──1984年に日本のコレクターへ売られたと、ドゥカティ博物館の館長が書いています
1,257ccのV型4気筒、100馬力。試作だけで終わったドゥカティ・アポロが、なぜ大分県由布市にあるのか。ドゥカティ博物館の館長リヴィオ・ロディ氏がかつて公式サイトに書いた文章に、経緯が残っていました。1984年、ベルリナー・モーター・カンパニーの残余を引き継いだ会社が、同じ年にアポロを日本のコレクターへ売却しています。「世界に1台」「二度と走らない」「時価2億円」という言い方が、どこまで資料で支えられるのかも確かめます。
「メーカー本社にすら無いバイクが、どうして大分の温泉町にあるんだ?」
ドゥカティ・アポロの話を聞いた人が、まず引っかかるのはここだと思います。1,257ccの空冷V型4気筒。100馬力。1960年代のイタリア車としては、桁が違います。
結論から書きます。経緯は、ドゥカティ自身が書き残していました。
ドゥカティ博物館の館長リヴィオ・ロディ氏が、かつてドゥカティの公式サイトに掲載していた文章に、こうあります。
The motorcycle was left unused until 1984, the year in which the remains of the Berliner Motor Company were ceded to Domiracing Ltd. which, in that same year, sold the Apollo to a Japanese collector who, up to now had remained anonymous.
(このバイクは1984年まで使われないまま置かれていた。この年、ベルリナー・モーター・カンパニーの残されたものがドミレーシング社へ譲渡され、同じ年に同社がアポロを日本のコレクターへ売却した。そのコレクターは、この文章が書かれた時点まで匿名のままだった。)
館長の説明にそって言えば、こうなります。 1984年に、アメリカでドゥカティを輸入していたベルリナー・モーター・カンパニーの残されたものがドミレーシング社へ渡り、同じ年に、ドミレーシング社がアポロを日本のコレクターへ売った。 売ったのはドゥカティではありません。
そして、そのバイクは大分県由布市湯布院町の岩下コレクションにあります。この記事で確かめるのは3つです。「世界に1台」はどこまで正確なのか。「二度と走らない」は本当か。そして、なぜ試作だけで終わったのか。
そもそも、なぜ1,257ccのV型4気筒だったのか
発注したのはドゥカティではなく、アメリカの輸入元でした。
ドゥカティの公式サイトに残っていた解説には、こう書かれています。
In 1963, the Berliner brothers (Ducati importers in America), gave Ducati a really ambitious mission: to create a rival to the Harley-Davidson.
(1963年、ベルリナー兄弟——アメリカにおけるドゥカティの輸入元——はドゥカティに、きわめて野心的な使命を与えた。ハーレーダビッドソンの対抗馬をつくることである。)
狙いは、アメリカの警察向けです。 (なお、英語版ウィキペディアは、ベルリナー側の打診は1959年で、開発費の一部をベルリナーが負担することが決まった1961年に計画が動き出した、としています。ドゥカティの文章の「1963年」とは食い違います。)当時のアメリカの警察はハーレーを使っていました。そこへ食い込むには、ハーレーより大きなエンジンが要る。 設計を任されたのはファビオ・タリオーニ。ドゥカティが当時作っていた最大のバイクは350ccでした。そこから一気に1,257ccです。
ドゥカティの解説は、この点に一種の誇りをのぞかせています。
Ducati still holds a sort of record for this project, as it was the only European company to conceive this type of motorcycle.
(ドゥカティは今もこのプロジェクトである種の記録を保持している。この種のバイクを構想した唯一のヨーロッパのメーカーだったからだ。)
寸法と重さも、ドゥカティ自身の数字が残っています。 1,257cc、100馬力、重量270kg、推定最高速度135mph(約217km/h)。ブレーキは前後ともドラムでした。
ただし、資料どうしが合っていません。 ドゥカティの文章は135mphに「約200km/h」と添えていますが、135mphは約217km/hです。 ベルリナー側が配った仕様書のほうは、重量を「約240kg」と書いていて、ドゥカティの270kgとも合いません。 この記事ではドゥカティの記述を採りましたが、数字は資料によって違う、という前提で読んでください。
中止の理由は「パワーがありすぎた」だけではない
動画では「パワーがありすぎて開発中止になった」と紹介しました。 半分は合っていますが、半分は足りません。
まずタイヤです。 ドゥカティの解説は、こう書いています。
At the time there were no motorcycle tires capable of supporting the bike's tremendous power and torque.
(当時、このバイクの途方もない出力とトルクを支えられる二輪用タイヤは存在しなかった。)
警察の仕様が16インチのタイヤを指定していたため、選択の幅もありませんでした。 高速道路のテスト中にタイヤが崩壊し、テストライダーは自分が生き延びたことを「奇跡」と評した——これは英語版ウィキペディアの記述で、ドゥカティ自身の文章には出てきません。
出力を落としていったことは、両方の資料が書いています。 ただし落とし方が一致しません。 ドゥカティのHeritageページは「80馬力から65へ」、館長の解説は「100から65cvへ」、英語版ウィキペディアは「100→80→65」。 同じ経過を、詳しさを変えて書いているだけかもしれませんし、違う話かもしれません。 今回の調べでは、どちらとも決められませんでした。
ただし、それでもプロジェクトは死にませんでした。1964年3月には金色に塗られた試作車が式典で引き渡され、同年11月にはロンドンのアールズコートのショーに出ています。 ベルリナー側は広告を刷り、警察のトップに実車を見せて、本気で売る準備をしていました。
止めたのは、お金の側です。 英語版ウィキペディアは、イタリア政府が「限られた市場では生産設備の費用に見合わない」と判断してプロジェクトの資金を引き揚げたと記しています。
ドゥカティ自身の説明は、少し別のところを見ています。
The problems that marked the failure of the project were basically dictated by the weight and power of the engine, which were really excessive, and by the impossibility of finding materials in Italy which could resist the stress of the 90° L-shaped four-cylinder engine.
(このプロジェクトの失敗を決定づけた問題は、根本的には、本当に過大だったエンジンの重量と出力、そして90度L型4気筒エンジンの応力に耐えられる材料をイタリア国内で見つけられなかったことによる。)
「タイヤ」「重さと出力」「材料」「資金」。 資料によって、どこを理由の中心に置くかが違います。 「パワーがありすぎた」は、そのうちの1本の糸です。
「世界に1台」の限定条件
ドゥカティ自身が、公式サイトでこう書いていました。
the Apollo never got beyond the prototype stage and very few of them (only two in fact) were ever made. Today only one survives.
(アポロは試作の段階を越えることがなく、作られたのはごくわずか——実際には2台だけ——である。今日、現存するのは1台のみ。)
ここは正確に読む必要があります。 「1台しか作られなかった」のではありません。 2台作られて、残っているのが1台、という意味です。
そして、この記述がいつ時点のものかは、はっきりしません。 私が読めたのは、2008年5月19日にインターネット・アーカイブへ保存された版です。保存された日付は分かりますが、ドゥカティがいつこの文章を書き、いつ「現存1台」を確かめたのかは、ページからは分かりません。 「今日」がいつを指すのかが分からない、ということです。
したがって、「いま現存しているのが本当に1台だけなのか」は、この記事では確認できていません。 古い公式説明が「2台作られ、現存は1台」と書いている——言えるのは、そこまでです。
なお、ドゥカティ博物館との関係も、動画で触れた「里帰り」の言い方より、もう少し静かなものです。
The only surviving Apollo was lent to the Ducati Museum between 2002 and 2003.
(現存する唯一のアポロは、2002年から2003年にかけてドゥカティ博物館へ貸し出された。)
貸し出しです。 所有権が動いたわけではありません。 動画で紹介した「イタリア側の役員が直談判した」という経緯については、私は一次情報を確認できませんでした。
「二度と走らない」の中身
動画の締めで「もう二度と走る姿は見られないかもしれない」と言いました。 コメント欄で、この点を調べ直した方がいます。
そして、記録の上では、2002年に走っています。
2002年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード。 英語版ウィキペディアは、近年におけるこの車両の唯一の公開の場として、ジャーナリストのイアン・カー氏がヒルクライムのコースをデモ走行したことを挙げています。その前に、イタリアのドゥカティの工場で、2人の元レースメカニックによって大がかりなオーバーホールを受けていたとも記されています。出典は雑誌『Motorcycle Sport & Leisure』2002年10月号で、私は原典を確認できていません。
ただし、2002年に走ったことは、「これから先も走る」という話ではありません。 私の動画の言い方が足りなかったのは、そこではなく、「なぜ走らせないのか」を説明しなかったことです。
コメント欄には、館内で館長から聞いた話として、「財産保護の観点から、これ以上状態が悪くならないよう、もう誰にも乗せない」という趣旨の書き込みがありました。 走れないから走らせないのではなく、保存のために走らせない、という方針です。 ただし、これはコメントを通じて知った内容で、私は所有者や館へ直接確認していません。 いま実際に走行できる状態にあるのかどうかも、確認できていません。
60年前の試作車で、同じものは世界に数えるほどしかありません。 この種の機械が「動く状態」と「壊さないこと」のあいだで選択を迫られるのは、古い楽器や工作機械の保存でも同じです。 どちらが正しいという話にはならないと思います。
熊本地震で「唯一倒れなかった」わけではありません
動画では「周りのバイクが倒れる中で、唯一倒れなかった」と紹介しました。 これも訂正します。
取材記事の表現は「柵にもたれかかることで完全転倒は逃れました」です。 倒れかけて、柵で止まった。 「唯一」ではなく、「完全には倒れなかった」。
岩下コレクションの公式サイトには、2016年の熊本・大分地震で館が大きな被害を受けたこと、震災直後に駆けつけたボランティアの協力で「2日間で200台のバイクが立ち直りました」と書かれています。 「立ち直りました」という書き方から読み取れるのは、それだけの台数に手を入れる必要があった、というところまでです。何台が完全に倒れたのかは、この記述からは分かりません。
「時価2億円」の根拠は確認できていません
この数字は、あちこちで見かけます。 ただし、私が見つけた記述はどれも「時価2億円とも言われる」「評価額2億円以上」という伝聞の形でした。鑑定した機関の名前も、評価の年も、算定の根拠も書かれていません。
今回の調べで確認できた売買の記述は、1984年のドミレーシング社から日本のコレクターへの売却だけです。そのときの金額も、その後に取引があったかどうかも、分かりませんでした。 金額を確かめたいなら、鑑定書か落札記録にあたるしかありません。 この記事では、そこまで届いていません。
いま、現物で確かめられること
1. 見に行けます。年中無休です
岩下コレクション(大分県由布市湯布院町川北645-6)。 公式サイトの利用案内には、開館時間9:00〜17:00、年中無休、入館料は大人1,000円・中高生700円・小学生400円(いずれも15名以上の団体は割引)と記載されています。駐車場は無料で、普通車30台・大型バス5台。 ただし料金や開館日は変わることがあるので、行く前に公式サイトか電話で確認してください。
2. 展示は入れ替わります
アポロは2002年から2003年にかけてドゥカティ博物館へ貸し出された実績があります。 常にそこにあるとは限りません。 アポロを目当てに行くなら、事前に問い合わせるのが確実です。
3. エンジンの向きを、自分の目で見る
90度のV型4気筒が、フレームの中でどう置かれているか。 英語版ウィキペディアによれば、前側の2気筒の間に、四角い断面のダウンチューブが通っています。 エンジンそのものがフレームの一部として力を受け持つ設計です。 写真では分かりにくい部分なので、現物で見る価値があります。
4. ブレーキを見る
前後ともドラムブレーキです。 直径は約220mm(8.675インチ)。 270kgの車体に100馬力を積もうとしていた設計に、このブレーキが付いている。 1960年代前半という時代が、いちばん分かる場所だと思います。
5. タイヤのサイズを見る
ベルリナー社の仕様書によれば、前後とも5.00×16インチ。 警察の仕様が16インチを指定したために、選択の余地がなかった部分です。このバイクの計画を苦しめた要因が、ここに付いています。
6. 自分のバイクのVツインと、つなげて見る
ドゥカティ博物館の館長は、アポロを「現代のドゥカティ2気筒エンジンの化石」と呼んでいます。 1968年、タリオーニがこの棚上げされたプロジェクトを掘り起こし、GP500の2気筒エンジンを作った。 そこから今日のLツインに続いた、という筋書きです。 これは館長自身の見立てであって、部品が受け継がれたという話ではありません。 それでも、いま乗っているドゥカティの前バンクの角度が、どこから来たと語られているのかは、この1台の前で確かめられます。
コメント欄から
取得したコメントは26件(返信を含む)でした。件数としては多くありませんが、事実関係を正してくださった書き込みが含まれています。
「もう二度と誰も乗ることはないだろう」にモヤっとして調べたら…(中略)…「アポロが岩下コレクションに所蔵されている限り、世界的な機械遺産の保存の責任上、残念ながら今後私を含め誰も乗る機会を与えられる事はないでしょう。」とのこと。
オーナーの言葉として紹介されていた部分だけを引きました。 省略した箇所には、過去に試乗したとされる方のお名前が挙げられています。 その方々が実際に乗ったかどうかを私は確認できていないので、お名前ごと省きました。
ここまで調べていただいたことに、まず感謝します。 そして、動画の「もう二度と走る姿は見られない」という締め方が、理由を伝えないまま印象だけを残したことは、私の落ち度でした。 走れないのではなく、走らせない。 その判断の中身を書くべきでした。
なんで乗れないのか説明してくれ……
この記事の「二度と走らない」の章が、その答えになっていれば幸いです。
財産保護の観点からこれ以上状態が悪くならないように、館長含めもう誰も乗せることはない(手放したら別だが)と館長がおっしゃっていました
館内で直接聞かれた方の書き込みです。 上の内容とかみ合っています。 ただし、私自身は館へ確認していません。
「バイクなんだから走りたいはずだ」という趣旨の書き込みもありました。 ヴァイオリンのストラディヴァリウスを引き合いに出して、展示だけの状態を惜しむ内容です。 走らせれば失われ、走らせなければ伝わらない。 どちらが正しいという話にはならないと思います。
場所についての書き込みも複数ありました。 「湯布院インターの近くで、関西方面からのツーリングにも組み込みやすい」「1階はレトロなコレクション、2階はマックイーンの所有したバイクなど」といった内容です。なお、館の所在地は「由布市湯布院町」で、由布院と湯布院の表記が混在しますが、同じ場所を指しています。
現物があれば本社で複製作れそうだけど…
技術的には作れるはずですが、それは別のものになります。 この1台の価値は、1960年代にイタリアの工場で組まれたという事実の側にあります。
出典
引用元
- Ducati Motor Holding S.p.A. 公式サイト Heritage - Apollo(In 1963, the Berliner brothers (Ducati importers in America), gave Ducati a really ambitious mission: to create a rival to the Harley-Davidson/a titanic vehicle with a capacity of 1,257 cc and a four cylinder 90° V configuration/At the time there were no motorcycle tires capable of supporting the bike's tremendous power and torque/the power was reduced from 80 hp to 65 and it was fitted with special tires/the Apollo never got beyond the prototype stage and very few of them (only two in fact) were ever made. Today only one survives):Internet Archive 保存版(2008年5月19日保存)
- Ducati Motor Holding S.p.A. 公式サイト An Outline of the Apollo's History(ドゥカティ博物館 館長 Livio Lodi 署名。a 1257 cc motorcycle, 100 horsepower, weighing 270 kg and featuring an estimated speed of 135 mph, approximately 200 kmph〔原文ママ。135mphは約217km/h〕/Ducati still holds a sort of record for this project, as it was the only European company to conceive this type of motorcycle/An attempt to find a solution was made by reducing the power of the engine from 100 to 65 cv, but the problems remained/The problems that marked the failure of the project were basically dictated by the weight and power of the engine, which were really excessive, and by the impossibility of finding materials in Italy which could resist the stress of the 90° L-shaped four-cylinder engine/The motorcycle was left unused until 1984, the year in which the remains of the Berliner Motor Company were ceded to Domiracing Ltd. which, in that same year, sold the Apollo to a Japanese collector who, up to now had remained anonymous/the Apollo represents the "fossil" of the modern Ducati two-cylinder engine/The only surviving Apollo was lent to the Ducati Museum between 2002 and 2003):Internet Archive 保存版(2007年10月26日保存)
- 岩下コレクション 公式サイト 利用案内(開館時間 AM9:00〜PM5:00/休館日 年中無休/入館料 大人1,000円・中高生700円・小学生400円〔( )内は15名以上の団体料金〕/駐車場 有(無料)大型バス5台・普通車30台/〒879-5114 大分県由布市湯布院町川北645-6):iwashitacollection.jp
- 岩下コレクション 公式サイト トップページ/お知らせ(オーナー自らが40年かけて約70万点、総重量1,000トンに及ぶ大衆文化財や社会遺産を収集/2018年6月20日付「2016年 熊本・大分地震より、「岩下コレクション」が大きな被害を受けた」「震災直後に真っ先に、バイクで駆けつけてくれて、2日間ボランティアで手伝っていただき、200台のバイクが立ち直りました」):iwashitacollection.jp
- English Wikipedia Ducati Apollo(production 1964 (2 units)/Ducati was to produce two prototypes and two extra engines as spares. Today only one survives/In 1959, the Berliner Motor Corporation approached Ducati/It was only when Berliner agreed to underwrite a portion of the development costs in 1961, that the project went ahead/A tyre disintegrated at speed on the Autostrada, and the test rider rated his survival "a miracle"/The engine was detuned to give 80 bhp. Tyres continued to disintegrate. The engine was brought down to 65 bhp/The Italian government decided that the limited market did not justify the tooling costs of production, and withdrew project funding/In March 1964 a gold-painted prototype was handed over in a formal ceremony/The Apollo appeared at the Earls Court, London motorcycle show in November, 1964/a central box section front downtube between the forward cylinders/single leading shoe 8.675 in drum brakes/courtesy of its owner, Hiroaki Iwashita, from 2002 to 2003, but now resides in his museum in Yufuin on the island of Kyushu/The machine's sole public appearance in recent decades was at the 2002 Goodwood Festival of Speed, where it was display-ridden up the test hillclimb by motorcycling journalist Ian Kerr. It had previously been substantially overhauled at the Ducati works in Italy by two ex-race mechanics/ベルリナー社の仕様書より Front tire: Ribbed 5.00 X 16 inch Rear tire: Block tread 5.00 x 16 inch、Weight approx. 240 kg):en.wikipedia.org
- forRide「岩下コレクション…世界に1台のドゥカティ「アポロ」はギリギリ転倒を逃れた!」(柵にもたれかかることで完全転倒は逃れました/世界で唯一の現存車で時価2億円とも言われる):forride.jp
引用文の日本語訳について 英語の引用に付した訳は、本記事で付けたものです。原文を併記してあります。
コメントの集計方法 本文の件数は、2026年9月11日に yt-dlp で取得した当該動画のコメント26件(返信を含む)を対象にしています。返信を含む件数なので、書き込んだ人の数とは一致しません。 引用の枠に入れたものは原文どおりで、絵文字と改行のみ整えています。省略した箇所は「(中略)」と示しました。 枠に入れず地の文で扱ったものは、要旨に言い換えたものです。
確認できていないこと
- 現存台数は、ドゥカティの公式サイトの記述で「2台作られ、現存は1台」です。ただし、その文章がいつ書かれ、いつ確かめられたものかはページから分かりません。 私が読めたのは2008年5月19日に保存された版で、いま現存しているのが1台だけかどうかは確認できていません。 なお英語版ウィキペディアには、行方が分からなかった金色の1号車について所在を示す記述がありますが、出典が個人の動画であり、車両の同一性を含めて私は何も確認できていないため、本文では扱いませんでした
- 製作台数の数え方にも資料間で表現の揺れがあります。「試作2台+予備エンジン2基」とする資料と、ベルリナー側への取材にもとづき「試作1台と予備1台」とする資料があり、同じ2台を指しているのか、違う数え方なのかは判断できていません
- 出力の低下の経緯は、ドゥカティのHeritageページが「80 hpから65へ」、館長の解説が「100から65 cvへ」、英語版ウィキペディアが「100→80→65 bhp」と書いています。hp・bhp・cvは同じ単位ではありません。 中間段階を省いた記述なのか、別の経過なのかは判断できていません
- 車両重量は、ドゥカティの記述が270kg、ベルリナー社の仕様書が約240kgで一致していません。最高速度も、館長の文章が135mphに「約200km/h」を添えていますが、135mphは約217km/hです
- 計画が始まった年は、ドゥカティの文章が1963年、英語版ウィキペディアが1959年の打診・1961年の着手としており、一致していません
- 1984年に買った日本のコレクターが、現在の所有者と同一人物かは確認できていません。ドゥカティの文章はコレクターを匿名としており、所有者名は英語版ウィキペディアの記述によります
- 2002年のドゥカティ博物館への貸し出しに至る経緯(動画で触れた「イタリア側の役員による直談判」)を裏づける資料は確認できていません
- 2002年グッドウッドでのデモ走行は、原典(『Motorcycle Sport & Leisure』2002年10月号)を確認できていません
- この車両がいま走行できる状態にあるか、および所有者の現在の方針を、私は所有者や館に直接確認していません。本文の内容はコメント欄と公開資料によるものです
- 「時価2億円」の算定根拠(鑑定機関・評価年・算定方法)を示した資料は確認できていません。1984年の売却以降に取引があったかどうかも確認できていません
- 地震で倒れた車両の台数は確認できていません。公式サイトの「2日間で200台のバイクが立ち直りました」から、手を入れた台数を読み取っただけです
- アポロが現在も館内に展示されているかは、本記事では確認していません。展示は入れ替わります
- 料金・開館時間は2026年9月11日時点で公式サイトに掲載されていた内容です。変更されることがあります
本記事のチェックポイント
- 日本にある理由は、ドゥカティ博物館の館長が書き残しています。 1984年、ベルリナー・モーター・カンパニーの残余を引き継いだ会社が、同じ年に日本のコレクターへ売却しました
- 「世界に1台」は「2台作られて、現存が1台」という意味です。1台しか作られなかったのではありません。しかもこの記述がいつ時点のものかは、ページから分かりません
- 中止の理由は、資料によって重心が違います。 タイヤ、重量と出力、材料、そして資金。ドゥカティ自身の説明と、資金引き揚げの記録は、見ているところが違います
- 2002年には整備のうえデモ走行した記録があります。 いま走れるかどうかは確認できていませんが、コメント欄では「保存のために乗せない方針」だと伝えられています
- 熊本地震で「唯一倒れなかった」わけではありません。 柵にもたれて完全転倒を免れた、というのが取材記事の表現です
