「125ccで5気筒」を最初にやったのはRC149ではない──ホンダ自身の記録に残る1年のずれ
ホンダの公式ページを読み比べると、125cc5気筒エンジンが初めて走ったのは1965年のRC148で、RC149はその翌年の発展型でした。5気筒という数の出どころ、始動直後に12,000回転を要したという走行確認テストの証言、そして活動終了の年と、よく語られる規則変更との関係がどこまで確かめられるかまでを、一次資料でたどります。
「125ccで5気筒って、何をどうしたらそうなるんだ」
そう思われた方が多いのではないでしょうか。総排気量は124.42cc。5つに割ると、1気筒あたり25ccです。それでいて最高出力は34PS以上を20,500rpmで、最大トルクは1.22kgm を19,300rpmで発生し、ホンダの表記で車両重量は85kg、変速機は8段。最高速度は210km/h以上とされています。
そして、この記事でいちばん確かめたかったのはここです。「125ccで5気筒」を最初にやったのは、RC149ではありません。 ホンダ自身が公開している複数のページを読み比べると、125cc・5気筒という同じ構成のマシンが前年の1965年に別の車名で走っていて、しかもホンダのページ同士で「世界初」がどちらを指すかが食い違っています。
順番に、公式の文章だけで確かめていきます。
5気筒は「50ccの2気筒を2.5倍する」ところから来ている
まず、いちばん引っかかるところから。なぜ5なのか。 4でも6でもなく、奇数の5です。
その答えは、ホンダのロードレース世界選手権のサイトに、はっきり書かれていました。1965年の日本GPを扱ったページです。
このエンジンは前年に登場した250cc6気筒同様、Hondaの独創的なアイデアであり、直接には50cc2気筒をベースにそれを2.5倍した発想から生まれていた
5は、2.5倍の結果として出てきた数字でした。 当時ホンダは50ccクラスで2気筒のマシンを走らせています。その1気筒を単位として考えれば、50cc÷2=25ccが手元にある。それを5つ並べれば125ccになる、という組み立てです。
排気量あたりの出力は、当時としては異常な水準に達していました。 同じページは、1965年に登場したRC148の5気筒エンジンについて「最高出力は34ps/20,500rpm、リッターあたり270psに到達していた」と書いています。1リッターあたり270馬力という値は、いまの量産スーパースポーツと並べても高いほうに入ります。それが1960年代半ばに、空冷で成立していたことになります。
「世界初」が指しているのは、どちらの車体か
ここが、今回いちばん慎重に扱うべきところでした。ホンダの公式ページ同士で、説明が一致していません。
ロードレース世界選手権のマシン紹介ページは、RC149についてこう書いています。
そのRC148の発展型として1966年に投入した世界初の5気筒125ccロードレーサーがRC149です
いっぽう、2003年に公開された「Honda歴代ロードレーサーの鼓動」は、同じ話をこう書いています。
翌1965年は、さらにマルチ化した世界初の5気筒125ccロードレーサーRC148を投入するも、追随してきた2ストローク勢にタイトルを奪われる。そこでRC148を熟成し、さらに高回転、ハイパワー化を実現したRC149を開発したのだ
「世界初の5気筒125ccロードレーサー」という同じ肩書が、片方ではRC149に、もう片方ではRC148に付いています。
では、実際に先に走ったのはどちらか。これは日本GPのページに日付まで書かれていました。
そして、1965年10月23日~24日。最終戦・日本GPのパドックに現われたHondaの新型125ccマシンは、誰をも驚愕させた。RC148と呼ばれたそのマシンは、それまで二輪で使われたことのない空冷4ストローク5気筒DOHCエンジンを搭載していたのだ
日付が入っているのはRC148のほうです。 1965年10月の日本GP。RC149の投入は翌1966年ですから、「125ccで5気筒」という構成が初めて実戦に現れたのは1965年のRC148、という順序になります。
では、ホンダのページの「世界初」が、それぞれ何を基準にした言い方なのか。 これは、どちらのページにも書かれていません。「初」の限定条件が示されていない以上、こちらで補って読むこともできません。
確かめられたのは、次の2つだけです。
- RC148が1965年、RC149が1966年に登場したという順序
- 1966年にシーズンを戦ってタイトルを獲ったのはRC149であること(RC148は1965年最終戦の登場で、その年のタイトルは獲れていません)
この記事では「RC149が世界初」とは書きません。 ホンダのページが2つに割れていて、どちらの「初」も限定条件が示されていないためです。以降は「RC148で現れた構成を、RC149が戦えるところまで持っていった」という書き方をします。
アイドリングが無い、というのはこういうことでした
動画では「暖機運転すら13,000回転」という紹介をしました。この言い方は、少し違いました。
出どころはホンダ自身のページです。歴代ロードレーサーの走行確認テストを担当したライダー・宮城光さんが、RC149に乗った感想を語っています。
まずびっくりするのは、エンジンが掛った瞬間。12000から13000回転です。そこまで回していないと止まってしまう。ごっつい驚きですわ
「暖機のために回す」のではありません。「そこまで回していないと止まる」のです。 同じページは、その理由もこう説明しています。
ロードレーサーにはそもそもアイドリング自体がない。アクセルを離すと止まってしまうため、アクセルをあおってエンジンを生かし続けるのだが、その回転数が13000というのだ
つまりアイドリングという状態が存在しないエンジンで、止めないために右手で回し続ける下限が12,000〜13,000回転だった、ということです。暖機という行為の話ではなく、このエンジンの最低回転数の話でした。
なぜそうなるのか。 ホンダのページは、宮城さんの「ただピストンとクランクだけが動いてるだけなんじゃないの?」という言葉を受けて、こう解説しています。
エンジンは、主軸となるクランクシャフトまわりに、ある程度のウエイトをぶら下げ、そのウエイトが自らの重み(クランクマス)で回ろうとする慣性を利用して爆発力を受けないときもエンジンを回している。クランクマスの慣性が小さいとエンジンは止まりやすい
体で起きることに翻訳すると、こうなります。 重い自転車のホイールは、こぎ足を止めてもしばらく回り続けます。軽いホイールは、すぐ止まる。エンジンのクランクも同じで、回り続けようとする「おもり」を軽くするほど吹け上がりは鋭くなり、そのぶん回転を保てなくなる。RC149は、その両端を極端まで振ったエンジンでした。
コメント欄には「クランクシャフトを軽量化する狂気」という書き込みがありました。方向としては、ホンダの説明と一致しています。 ただし、クランクの具体的な重量や、どこをどれだけ削ったかという数値は、公式資料では確認できませんでした。
8速は「今何速か」を数えるための段数ではなかった
パワーが出る回転域が20,000回転付近にしかないので、変速機は8段になります。では、乗る側はその8段をどう扱っていたのか。 ここも同じページに証言がありました。
8速のシフトは、「今何速に入っている」というより、「今の回転とコーナスピードに合ったギアを選択する」感覚だという
段数を数えていたのではなく、回転数から逆算していたということです。そして、シフトダウンの一瞬でもエンジンは止まりました。
コーナーの手前でシフトダウンのためにクラッチを切ったとき走りながら1度エンジンを止めてしまいました。ほんの一瞬、間があったのでしょう。でもそれまで20000回転も回っているんですよ
取得したコメントのなかで最も高評価が多かったのが、まさにこの13,000回転についての書き込みでした。そして「それを乗りこなしたライダーも凄いと思う」という声も並んでいます。走りながらエンストする乗り物で、しかもブレーキは当時のものです。
ブレーキもあまり効かないという。当時はタイヤもプアで、ブレーキ自体も性能は高くなかった
宮城さんは、当時のコーナリングをこう推測しています。「ブレーキ掛けるか掛けないかの感じでシフトダウンしながら、マシンを横に向けてコーナーへ進入したんじゃないでしょうか」。減速の一部を、車体を横に向けたときの抵抗でまかなっていたという見立てです。原文でも「横に向けたマシンの抵抗」までで、何の抵抗かは特定されていません。
RC149が最後になった理由を、規則変更に求められるか
コメント欄に、こういう趣旨の書き込みがありました。「海外勢が勝てないから、1969年から125ccの多気筒が禁止された」。 これはよく語られる話です。
ただ、確かめられるのは年だけで、理由ではありません。 ホンダのマシン紹介ページには、こう書かれています。
Hondaは1967年に50ccと125ccクラスにおけるワークス活動を終了したこともあり、RC149は第1期Hondaの125ccクラス最後のマシンとなっています
1967年です。 仮に規則変更が1969年からだったとしても、ホンダが50ccと125ccのワークス活動を終えたのは、その2年前にあたります。ただし、これで動機まで否定できるわけではありません。 規則の変更は施行の前に決まったり予告されたりするものですし、ホンダがなぜ終了を決めたのかは、今回あたった資料には書かれていませんでした。言えるのは「終了は1967年」という年までです。
なお、1969年の気筒数・変速段数の制限そのものについては、FIMやホンダの一次資料で条文を確認することができませんでした。 よく語られている話ではありますが、本記事では事実として扱いません。規則変更があったかどうかも、それが終了の動機だったかどうかも、どちらも確認できていないというのが正確なところです。
いま、現物で確かめられること
60年前のレーサーの話ですが、手元で確かめられることがあります。
1. 自分のバイクのタコメーターの右端を見る 多くの市販車はレッドゾーンが1万回転前後で終わります。RC149が最大の力を出していた20,500回転は、その目盛りの外側です。 数字を眺めるより、自分のメーターがどこで終わっているかを見たほうが、この差は早く飲み込めます。
2. アイドリングの回転数を、暖機中に見ておく 冷えているときの回転数と、温まったあとの回転数を比べてみてください。どちらにしても、手を離していても勝手に回り続けている、という状態がまずあります。 RC149の走行確認テストでは、それが12,000〜13,000回転を保つ操作に置き換わっていました。タコメーターが付いていない車両では数字が読めません。 その場合は、アイドリングで手を離していても止まらないこと自体が、RC149との違いだと考えてください。
3. ホンダの公式ページを、自分で読み比べる この記事でいちばん重要な指摘は、ホンダ自身のページ同士が食い違っているということでした。どちらも一般公開されているので、出典のリンクから両方を開いて、同じ肩書がどちらの車名に付いているかを確かめてみてください。一次情報にあたるというのは、こういう作業です。
4. ホンダコレクションホールの収蔵車両を検索する コメント欄に「もてぎのミュージアムで展示している」という書き込みがありました。モビリティリゾートもてぎの公式ページには、ジャンル・年代・メーカーごとに収蔵車両を検索できるページが案内されています。展示内容は入れ替わるので、本記事では特定の車両が今そこにあるとは書きません。 出かける前に検索して確認するのが確実です。
コメント欄から
取得できた142件のコメントには、「その回転数で何が起きるのか」に驚く声が数多く並んでいました。
暖機運転の回転数が13000rpmというロマンというかパワーワードというか…
取得したコメントのなかで、最も高評価が多かったのがこの一行でした。 上で書いたとおり、ホンダの記述では暖機のためではなく「そこまで回していないと止まってしまう」ためです。言葉としては訂正が必要ですが、驚きの中身は変わりません。
クランクシャフトを軽量化する狂気
ホンダの説明と方向は一致しています。 クランクマスの慣性が小さいと止まりやすい、という記述がその裏づけです。ただし削った量の数値は公開されていません。
それを乗りこなしたライダーも凄いと思う。
走行確認テストの証言を読むと、この評価は控えめなくらいです。 シフトダウンの一瞬でエンストし、ブレーキは効かず、始動は押し掛け。宮城さんは「現代のライダーではエンジンを掛けることも難しいと思いますよ」と述べています。
50cc2気筒のRC116を2.5個くっつけて作ったそうな
「2.5倍」という発想は、ホンダの公式ページにそのまま書かれています。 ただし、そこに書かれているのは「50cc2気筒をベースに」までで、車名は特定されていません。 1965年に走っていた50cc2気筒はRC115で、RC116は1966年のマシンです。この書き込みは考え方としては正しく、車名の対応までは公式資料では確認できませんでした。
ミッションは同じ125のカワサキが12速、50のスズキが14速ありましたね。
ブリヂストンの50CCレーサーは21段変速がありました
当時、多段変速の競争があったこと自体は、ホンダの日本GPのページからも読み取れます。 50ccクラスにブリヂストンが水冷2気筒で参戦していたことも書かれています。ただし他社の段数については、本記事ではメーカーの一次資料を確認できませんでした。 数字として断定はしません。
設計者について書かれたコメントも複数ありました。 特定の技術者の名前と、その人が後に別の名機を手がけたという内容です。
ただ、RC149の設計者を名指しした公式資料は、今回見つけられませんでした。 ホンダのページは「Hondaの独創的なアイデア」という書き方で、個人名を出していません。動画では特定の技術者の名前を挙げましたが、一次情報で裏づけられなかったため、この記事では個人名を書きません。 コメントの内容も、引用しない扱いにしました。
出典
引用元
- 本田技研工業「125cc RC149 1966|Honda World Grand Prix 800勝の軌跡」(空冷4サイクル並列5気筒DOHC4バルブ/124.42cc/over 34PS/20,500rpm/over 210km/h/車両重量85kg/8段変速/そのRC148の発展型として1966年に投入した世界初の5気筒125ccロードレーサーがRC149です/Hondaは1967年に50ccと125ccクラスにおけるワークス活動を終了したこともあり、RC149は第1期Hondaの125ccクラス最後のマシンとなっています/ルイジ・タベリのライディングで9戦中5勝):honda.co.jp
- 本田技研工業「掛けた瞬間から絶叫するRC149のエンジン。|Honda歴代ロードレーサーの鼓動」宮城光(1気筒あたり25cc/最大トルクは1.22kgm/19300rpm/車体重量は約85kg/翌1965年は、さらにマルチ化した世界初の5気筒125ccロードレーサーRC148を投入するも/まずびっくりするのは、エンジンが掛った瞬間。12000から13000回転です/ロードレーサーにはそもそもアイドリング自体がない/クランクマスの慣性が小さいとエンジンは止まりやすい):honda.co.jp
- 本田技研工業「Honda歴代ロードレーサーの鼓動(3ページ目)」宮城光(コーナーの手前でシフトダウンのためにクラッチを切ったとき走りながら1度エンジンを止めてしまいました/ブレーキもあまり効かない/8速のシフトは「今何速に入っている」というより、「今の回転とコーナスピードに合ったギアを選択する」感覚/現代のライダーではエンジンを掛けることも難しいと思いますよ):honda.co.jp
- 本田技研工業「日本GPの興奮。- 多気筒の咆哮──精密機械の戦い」(1965年10月23日~24日。最終戦・日本GPのパドックに現われた……RC148と呼ばれたそのマシンは、それまで二輪で使われたことのない空冷4ストローク5気筒DOHCエンジンを搭載していた/直接には50cc2気筒をベースにそれを2.5倍した発想から生まれていた/最高出力は34ps/20,500rpm、リッターあたり270psに到達していた/50ccクラスのRC115は13.6ps/20,500rpm/同クラスにBridgestoneの水冷2気筒が参戦):honda.co.jp
- モビリティリゾートもてぎ「Honda Collection Hall」(モビリティリゾートもてぎの入場料・駐車料のみでご覧いただけます。入館に追加料金はかかりません/収蔵車両はジャンル・年代・メーカーごとに検索できる「コレクションサーチ」が案内されている):mr-motegi.jp
- モビリティリゾートもてぎ「Honda Collection Hall|コレクションサーチ」(収蔵車両をジャンル・年代・メーカーで検索できるページ):apps.mobilityland.co.jp
確認できていないこと
- 「世界初の5気筒125ccロードレーサー」がどちらの車名を指すか、ホンダの公式ページ同士で食い違っています。 本記事はどちらか一方を事実として採らず、両方の記述を並べたうえで「RC148で現れ、RC149が完成させた」という書き方にとどめました
- RC149の設計者・開発責任者を名指しした公式資料は見つけられませんでした。 ホンダの記述は「Hondaの独創的なアイデア」までで、個人名は出てきません。コメント欄に挙がっていた技術者名と、その人の後年の業績についても裏づけが取れていないため、本記事では引用していません
- 1969年からの気筒数・変速段数の制限について、FIMやホンダの一次資料で条文を確認できませんでした。規則変更の有無も、それが活動終了の動機だったかどうかも、本記事では扱っていません
- カワサキ125ccの12速、スズキ50ccの14速、ブリヂストン50ccの21速は、いずれも各メーカーの一次資料を確認できていません
- クランクシャフトの重量や軽量化の具体的な数値は公開資料で確認できませんでした
- 暖機運転の手順としての公式な記述はありません。本記事が扱ったのは「始動直後に12,000〜13,000回転を要した」という走行確認テストでの証言です
- RC149が現在どこで展示されているかは本記事では断定していません。展示は入れ替わるため、コレクションサーチでの確認をおすすめします
本記事のチェックポイント
- 5という気筒数は、50cc2気筒の1気筒=25ccを単位として2.5倍した発想から出ています(ホンダ公式の記述)
- 125cc5気筒が初めて実戦に現れたのは1965年のRC148。 RC149はその翌年の発展型で、シーズンを戦ってタイトルを獲ったのはRC149です(「世界初」の限定条件は、ホンダのどちらのページにも書かれていません)
- 13,000回転は暖機のためではなく、止まらないための下限でした。このエンジンにアイドリングという状態はありません
- 鋭い吹け上がりと回転を保てないことを、ホンダの記事はクランクマスの小ささで関連づけて説明しています
- ホンダが50ccと125ccのワークス活動を終えたのは1967年。よく語られる1969年の規則変更との因果は、今回の資料では確認できません
