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バイクの技術と歴史を、一次情報にあたって確かめる記事を書いています

スーパーカブの発売は1958年。コミネがバイクづくりをやめたのは1957年です

コミネが自社でバイクを作っていた時期と、やめた年を公式の沿革で確かめると「スーパーカブに負けた」という筋書きとは順番が合いません。エンジンを他社に供給していた側面と、1967年のスネル68合格までを一次資料で整理します。

「コミネって、バイクそのものを作ってたの?」

そう驚いた方に、まず年号だけ並べておきます。コミネがバイクづくりから用品づくりへ切り替えたのは1957年。ホンダのスーパーカブC100が登場したのは1958年です。

順番が逆になっています。スーパーカブに負けて撤退した、という筋書きは、公式の沿革と年が合いません。 動画のタイトルでは「ホンダのカブに敗北し」という言い方をしていましたが、ここで正しく置き直しておきます。コミネとホンダの関係が切れたのは、1953年。相手はスーパーカブではなく、その6年前に売られていた自転車用の補助エンジン「F型」でした。

そして、もうひとつ。コミネ公式の沿革には、見落とされがちな一文があります。自社で作ったエンジンを、当時の国内メーカーに供給していた、というものです。この記事では、その5年間に何があったのかを、両社の公式資料から確かめていきます。

1952年、コミネは「F型」の販売総代理店でした

コミネ公式の沿革は、創業をこう記しています。

1947年 自転車部品やタイヤチューブなどを官庁へ納品する業者として、小峰新助が東京都台東区に小峰商会を創業。

出発点は自転車部品の納入業者です。そこから5年後、転機が来ます。

1952年 ガソリン価格の自由化により日本国内のモータリゼーションが活性化。この変革を受け、小峰商会は本田技研工業が製造・販売する「F型自転車補助エンジンキット」の販売総代理店となる。

F型は、バイクではありません。 自転車に後付けする補助エンジンのキットです。これが売れに売れました。そして翌年、契約が切れます。

1953年 本田技研工業との代理店契約を解消。小峰バイク工業株式会社と改組し、当時の排気量別で最高性能を生み出していた独自開発エンジン搭載の車両「巨人(ジャイアント)号」の販売を開始。

コミネ公式は、解消の理由を書いていません。 ただ、ホンダ側の記録を見ると、同じ時期に何が起きていたかは分かります。ホンダの75年史には、こうあります。

全国の自転車販売店にダイレクトメールを送って直販する販売店を募り、ホンダは一気に自前の販売網を構築した。

ホンダは、自転車店を直接つかまえにいった。 販売店を束ねる総代理店を経由しない売り方を、自分で作り上げたということです。時期は重なります。ただし「だからコミネとの契約が切れた」と両社が書いているわけではありません。 ここは因果を決めつけずに、「同じころにホンダは自前の販売網を作っていた」という事実までにとどめます。

コミネとホンダの出来事を並べた年表の模式図。1947年小峰商会創業、1952年F型の販売総代理店、1953年代理店契約解消と巨人号の発売、1957年バイクづくりから用品づくりへ、1958年スーパーカブC100登場、1967年スネル68合格。1957年と1958年の間に縦の区切り線が入り、撤退がスーパーカブより前であることを示す
スーパーカブの登場は、コミネがバイクづくりをやめた翌年です。関係が切れた1953年の相手は、自転車用の補助エンジン「F型」でした

エンジンを供給する側でもありました

「巨人号」の説明で、いちばん重要なのは車両そのものではありません。続く一文のほうです。

このエンジンは当時50社近くあったといわれる国内のバイクメーカーにも数多く供給された。

コミネは、完成車メーカーであると同時に、エンジンのサプライヤーでもあったということです。自社の車体に載せるだけでなく、他社のバイクの中身を作っていた。「バイクを作っていた」という話より、こちらのほうが規模の大きい事実だと思います。

そして、その50社近くが、どうなったか。

1957年 幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで、社名を小峰自動車工業株式会社へと改称。バイクづくりからバイク用品づくりへと事業内容を変更。

「幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで」。 コミネ公式が書いているのは、特定の1台に負けたという話ではなく、業界そのものが数十社から数社へ絞り込まれていく過程に立ち会ったという話です。エンジンの納品先が次々に消えていく、という意味でもあります。

えもえも

この時期に車体づくりをやめて用品へ移ったという判断が、70年後のコミネの立ち位置を決めています。負け方の話ではなく、降り方の話として読むほうが、たぶん実態に近いはずです。

1967年、ヘルメットが義務になる前に

用品メーカーになってから10年後、コミネの沿革にこう出てきます。

1967年 埼玉県にヘルメット専用工場を新設。そこで生まれたコミネ製ヘルメットが、日本のメーカーで初めて米国のスネル財団規格「スネル68」に合格。

ここで、限定条件を付けておきます。この「初めて」は、「日本のメーカーの中で」「スネル68という版に」という2点に限った話です。スネル財団側の記録でこの順番を確認することはできませんでした。コミネ公式が自社について書いている記述として受け取ってください。

そのうえで、押さえておきたいのは年のほうです。同じ沿革に、こう書かれています。

1965年 日本の高速道路でヘルメット着用が努力義務となる(罰則なし)。

1978年 日本のすべての道路で51㏄以上のバイクのヘルメット着用が義務化される。

1967年は、この2つの間です。 高速道路で努力義務になっただけで、罰則もなく、一般道でかぶる義務は無かった時期に、ヘルメット専用の工場を建てているということになります。

義務化はその後も段階的に進み、原付を含むすべてのバイクに広がったのは1986年とされています(この年次は複数の資料で記述がそろっていますが、法令の原文で条文ごとの施行日まで突き合わせてはいません)。コミネがヘルメットを作り始めた時点から数えると、20年近く先の話です。

同じ姿勢は、その後の年表にも続きます。1997年のメッシュジャケットは、肩・肘・脊椎のプロテクターを標準装備して出されました。2005年に欧州CE規格認証プロテクターを装着したジャケットをラインナップし、2018年にはCE認証グローブ(EN13594:2015)を日本メーカーで初めて並べた、と記されています。

いま、現物で確かめられること

お手元のジャケットのプロテクターを、いま抜いてみてください。 表面に印字があるはずです。ここが、この記事でいちばん役に立つところだと思います。

(肩や肘は縫い込みで抜けない製品もあります。 その場合は、商品ページの仕様欄に同じ表記が載っています。印字が擦れて読めないものも、同じところで確認できます)

プロテクターのラベルの読み方を示した図。左からEN1621-1(肩・肘・膝)、EN1621-2(背中)、EN1621-3(胸部)の3枚のタグが並び、それぞれにレベル1とレベル2の許容値が数値で添えられている。右端に規格表示のない成形パッドを置き、試験を通っていないことを示す
数字は50ジュールの衝撃試験で向こう側へ伝わった力の上限です。小さいほど体に届く力が小さくなります

コメント欄から

この動画には78件のコメントをいただきました。製品への感謝が大半を占めていたのが、この回の特徴でした。

視聴者コメント

コミネのプロテクションウェアに助けられたライダーは多いはず ありがとうコミネ

いちばん多くの「いいね」が付いていたのがこちらです(2026年9月時点)。

視聴者コメント

そして、プロテクターの類をHONDAにOEM供給しておる。

この指摘は、両社の公式サイトでは確認できませんでした。 コミネの沿革にもホンダの製品ページにも、供給関係を示す記述は見当たりません。製品どうしの仕様を見比べた個人の記事は複数ありますが、それは一次情報ではありません。 ここでは「確認できていない」とだけ書いておきます。

代わりに、公式の情報だけで判断できる方法を書いておきます。どのメーカーの製品でも、プロテクターの規格番号とレベルは商品ページか現物のタグに書かれています。 そこを見比べれば、ブランドの推測をしなくても、中身の比較はできます。

サイズ展開の広さを挙げる声が、複数ありました。 標準的なS・M・L・XLに収まらない体格だと選択肢が狭い、という趣旨のコメントが並び、そのうえでコミネにはBL・2BL・3BLといった表記の展開がある、という指摘がありました。

これは、好みの話ではなく安全の話です。 プロテクターは決まった位置にあって初めて働きます。サイズが合っていなければ、肩当ては肩からずれ、肘当ては肘から外れます。 選べるサイズが多いこと自体が、保護性能の前提条件だという読み方ができます。

視聴者コメント

コミネがヘルメットつくりはじめた頃はまだバイク乗るのにヘルメットが法律で義務化されてない時代だからね

この点は、コミネ公式の沿革と一致します。 高速道路で努力義務になったのが1965年、罰則付きで広がっていくのはその後です。1967年にヘルメット専用工場を建てたのは、義務化の前でした。

視聴者コメント

スネル取得は小峰が最初とは知らなかった…

限定条件を付け直しておきます。 コミネ公式が書いているのは「日本のメーカーで初めて」「スネル68」です。世界で最初という意味ではありませんし、スネル財団側の記録で確認できたわけでもありません。

視聴者コメント

モーターサイクルショーで今年展示されてたで! レトロで良い感じのバイクだったから撤退は残念だわ〜

視聴者コメント

岩下コレクション、バイク好きなら何時間でもいれる。

当時の車両を見たというコメントを複数いただきました。 ただ、展示の内容は時期によって入れ替わります。 見に行かれる場合は、施設や主催者の公式情報でその時の展示をご確認ください。

視聴者コメント

ダイハツもバイク作ってたけどね😃トウハツってメーカーもあったよな😃

まさにこれが1957年の話です。 コミネ公式が書く「幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで」の、その幾多のうちの何社かがここに挙がっています。

関連する道具

コミネが70年かけて積み上げたものを、いちばん短く受け取れる形が規格表示のあるプロテクターです。いま入っているものに規格の印字が無かった場合だけ、検討する価値があります。

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CE規格レベル2 プロテクター(肩・肘・膝・背中)

買う前に3つ確認してください。①お使いのジャケットのポケットの寸法(メーカーごとに形が違い、他社品が入らないことがあります)②部位(肩・肘・膝・背中・胸で形が別。背中は EN1621-2、胸は EN1621-3 と規格そのものが違います)③レベル表示(レベル2は硬く厚い傾向があり、ポケットに収まらない場合があります)。ジャケットと同じメーカーの純正品が、いちばん確実に収まります。

価格・在庫・適合は変わります。購入前に販売ページでご確認ください。

出典

引用元

  • 株式会社コミネ 公式サイト「コミネの歴史」(1947年 自転車部品やタイヤチューブなどを官庁へ納品する業者として、小峰新助が東京都台東区に小峰商会を創業/1952年(中略)本田技研工業が製造・販売する「F型自転車補助エンジンキット」の販売総代理店となる/1953年 本田技研工業との代理店契約を解消。小峰バイク工業株式会社と改組し(中略)「巨人(ジャイアント)号」の販売を開始。このエンジンは当時50社近くあったといわれる国内のバイクメーカーにも数多く供給された/1957年 幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで、社名を小峰自動車工業株式会社へと改称。バイクづくりからバイク用品づくりへと事業内容を変更/1965年 日本の高速道路でヘルメット着用が努力義務となる(罰則なし)/1967年 埼玉県にヘルメット専用工場を新設。そこで生まれたコミネ製ヘルメットが、日本のメーカーで初めて米国のスネル財団規格「スネル68」に合格/1978年 日本のすべての道路で51㏄以上のバイクのヘルメット着用が義務化される/1997年(中略)肩・肘・脊椎のプロテクターを標準装備/2005年 欧州CE規格認証プロテクターを装着したジャケットをラインナップ/2018年 CE認証グローブ(CE規格EN13594:2015)を日本メーカーで初ラインナップ):komine.ac
  • 本田技研工業 75年史 第2章第1節第1項 二輪事業(全国の自転車販売店にダイレクトメールを送って直販する販売店を募り、ホンダは一気に自前の販売網を構築した/1958年に登場したスーパーカブC100である):global.honda
  • Honda公式「限りない夢、あふれる情熱」カブF型の販売店開拓DM戦略 / 1952:global.honda
  • DAINESE JAPAN 公式ブログ「【CE規格】バイク用プロテクターの安全認証について徹底解説」(50ジュールの衝撃試験/EN1621-1 はレベル1が35kN以下(平均値)、レベル2が20kN以下(平均値)/EN1621-2 はレベル1が平均18kN以下・最大25kN以下、レベル2が平均9kN以下・最大12kN以下/EN1621-3 の胸部規格/EN17092 の AAA・AA・A・B・C の5区分):blog.dainesejapan.com

確認できていないこと

  • ホンダ純正ライディングギアのプロテクターがコミネのOEMかどうか。両社の公式サイトに記述は見当たりませんでした
  • コミネとホンダの代理店契約が解消された理由。コミネ公式は事実だけを記し、理由を書いていません。ホンダ側が同時期に直販網を築いていたことは75年史で確認できますが、両者を結ぶ記述はありません
  • スネル68に日本メーカーとして最初に合格したのがコミネかどうか。コミネ公式の記述に依っており、スネル財団側の記録では確認できていません
  • ヘルメット着用義務化の各段階の正確な施行日。コミネ公式の年次と一般に流通する年次に差があり、法令原文で条文ごとに突き合わせてはいません
  • 「巨人号」の生産台数、供給先メーカーの社名、供給台数。公式の沿革に数字はありません
  • 現在の展示状況(岩下コレクション、モーターサイクルショー等)。時期により入れ替わります

本記事のチェックポイント

  • コミネがバイクづくりをやめたのは1957年。スーパーカブC100の登場は1958年で、順番が合いません
  • ホンダとの関係が切れたのは1953年。相手はスーパーカブではなく、自転車用補助エンジン「F型」の代理店契約でした
  • コミネは完成車メーカーであると同時に、自社エンジンを当時の国内メーカーに供給する側でもありました
  • 撤退の理由としてコミネ公式が書いているのは「幾多のバイクメーカーが廃業や統合されるなかで」という業界全体の状況です
  • ヘルメット専用工場の新設は1967年。着用が罰則付きで義務化されるより前の判断でした
  • プロテクターは規格番号(EN1621-1/-2/-3)とレベル表示で中身を比べられます。ブランド名より先に、そこを見てください
  • 規格表示のない成形パッドは、形を保つためのもので、衝撃試験を通ったものではありません

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