50ccに9段のギア。マン島を勝ったスズキRM63が、そこまで刻むしかなかった理由
1963年のマン島TT50ccクラスを制したスズキRM63は、11馬力の排気量50ccに9段の変速機を積んでいました。使える回転の幅がどれだけ狭かったのか、当時のライダーの証言と各年式の段数の推移から、なぜ段数を増やすしかなかったのかを整理します。
「原付で150km/h? そんなの怖くて乗れない」
そう感じた方に、まず数字から見ていただきたいものがあります。1963年のマン島TT50ccクラスを勝ったスズキRM63は、排気量49.64ccで11馬力、最高速は約150km/h。そして変速機は9段ありました。
怖いのは速度だけではありません。このエンジンが力を出す回転の幅は、ほんの数百回転しかなかったと、同じ時代の50ccに乗っていたライダーが証言しています。9段という段数は、その狭さを埋めるために必要だった数でした。
この記事では「なぜ50ccに9段も要ったのか」を、当時の仕様と証言から確かめます。乗り手の腕の話ではなく、エンジンの都合が先にあって、段数はその結果だったという順番で見ていきます。
使える回転が、500回転しかなかった
まず、体で何が起きるかから書きます。
いま乗っているバイクで、アクセルを開ける。回転が上がる。力が出る。その「力が出ている状態」が続く回転の幅を、パワーバンドと呼びます。現代の車両なら、この幅は数千回転あります。多少ずれても、走りは大きく崩れません。
1960年代の50ccレーサーは、そこが違いました。スズキで50ccクラスの世界タイトルを1963年と1964年に獲ったヒュー・アンダーソンは、当時のマシンについてこう語っています。
You never had more than 500 revs to play with, so you were constantly monitoring the revs, using the clutch and trying to find another hundred rpm
拙訳すると「使える回転の余地が500回転を超えることは一度もなかった。だから常に回転計を見て、クラッチを使って、あと100回転を探し続けていた」。同じ人が、こうも言っています。「どのコーナーは12段落とす、どのコーナーは10段、と全部書き出していた」と。
500回転というのは、指の感覚で言えば「ほんのわずか開けすぎただけで外れる」幅です。 アクセルの開け方ではなく、ギアの段数でその幅に合わせにいくしかない。これが9段の正体です。
もうひとつ、証言があります。1967年のTTをスズキで勝ったスチュアート・グラハムは、当時の2気筒機についてこう述べています。
The twin had power between 17,000 and 17,500rpm so you were playing a tune on the gearbox
「17,000から17,500回転の間にしか力が無かったから、ギアボックスで音階を奏でているようなものだった」。500回転の幅を、14段で追いかける。楽器にたとえたくなる操作だったわけです。
段数は、パワーが上がるたびに増えていきました
RM63の9段は、いきなり9段になったのではありません。出力が上がるたびに、パワーバンドが狭くなり、その都度段数が足されていったという順番です。英国のクラシック50レーシングクラブがまとめた各年式の仕様を並べると、それがはっきり見えます。
| 年式 | 構成 | 出力 | 段数 |
|---|---|---|---|
| RM62(1962) | 空冷 単気筒 | 8馬力/10,500rpm | 8段 |
| RM63(1963) | 空冷 単気筒 | 11馬力/13,000rpm | 9段 |
| RK66(1966) | 水冷 2気筒 | 16.5馬力/17,000rpm | 12段 |
| RK67(1967) | 水冷 2気筒 | 17.5馬力/17,250rpm | 14段 |
同クラブの記述には、この因果が一文で書かれています。1965年のRK65について「The power band became narrower and that's why the RK 65 was given ten gears(パワーバンドが狭くなった。だからRK65には10段が与えられた)」。段数が先ではなく、狭さが先です。
RM62からRM63への変更も、同じ理屈でした。シリンダーの向きを変えて排気を後方へ出し、キャブレターを22mmから24mmへ。その結果出力が3馬力増え、最高速が3.2mph(約5km/h)上がった。その増えたぶんを扱うために、8段が9段になったと記されています。
ここは、いまのバイクにもつながる話です。排気量が小さいほど、使える回転の幅は相対的に狭くなります。 125ccや250ccで「回さないと進まない」と感じるのは、乗り手の問題ではなく、そういう構造だということです。
段数競争は、ルールで終わりました
この流れがどこまで行ったのか。スズキが次に用意していたのは、50ccの3気筒でした。
RP68と呼ばれるその機体は、水冷49.87ccの3気筒で19馬力/19,000rpm、変速機は14段。ところが、一度もレースを走っていません。
理由は技術ではなく、規則の変更でした。ヤマハ発動機の公式サイトは、当時のFIM(国際モーターサイクリズム連盟)の規則改定をこう記しています。
Under the new FIM regulation 50cc machines were limited to single-cylinder engines from 1969 and 125cc and 250cc machines were to be limited to two cylinders from the 1970 season(中略)A limit was also set on the number of gears in the transmissions, at six.
1969年から50ccは単気筒。変速機は6段まで。 14段の3気筒は、走る場所を失いました。同じページには「これらの規則改定を受けて、ホンダとスズキは1968年シーズンからの世界GP撤退を表明し、翌年ヤマハも続いた」とも書かれています。
コメント欄には「3気筒50ccで16速ミッション」という書き込みがありました。段数は資料の上では14段ですが、「そんな機械が本当にあった」という驚きの部分は、そのとおりです。そして、それが走らずに終わったことまで含めて、この話の結末になっています。
「日本人唯一」が指している範囲
伊藤光夫さんについて、限定条件をはっきりさせておきます。この手の「唯一」は、範囲を間違えると意味が変わってしまうからです。
スズキの公式ニュースリリースは「日本人初の優勝者である伊藤光夫氏」と書いています。浜松市の産業振興課が運営するサイトは、マン島TTの歴史について「その110年を超える歴史の中で唯一優勝し、日の丸を掲げた人物が浜松にいた」と書いています。
つまり限定条件は、次の2つです。
- 「日本人ライダーが」マン島TTで優勝したのは、伊藤光夫さんだけ。 日本メーカーのマシンがTTで勝つことは別の話です。たとえば前年の1962年、同じ50ccクラスをスズキのRM62で勝ったのはドイツ人のエルンスト・デグナーでした
- 「マン島TTで」の話であって、「世界GPで」ではありません。 日本人初の世界GP優勝は、1961年5月の西ドイツGP250ccクラスで高橋国光さんが挙げています(ホンダ公式サイトに記載があります)
この2つは、よく混ざります。高橋国光さんは世界GPで日本人初。伊藤光夫さんはマン島TTで日本人初、そしていまのところ唯一。 別々の記録です。
肝心のレースも見ておきます。1963年の50ccウルトラライトウェイトTTは3周・約113マイル=約182kmで行われ、伊藤さんの記録は1時間26分10秒6、平均78.81mph(約127km/h)。2位はチームメイトのヒュー・アンダーソンで、その差は約27秒でした。専門誌の記事によれば、2周を終えた時点ではエルンスト・デグナーとの差がわずか3秒で、3周目にデグナーがマシントラブルで止まったとされています。
参考までに、同じコースの現在の最速ラップは、2023年6月9日にピーター・ヒックマンが記録した16分36秒115、平均136.358mph=約219km/hです(マン島TT公式サイト)。数字の上では60年でおよそ1.7倍ですが、片方は50ccの3周平均、もう片方は1000ccクラスの単独ラップです。速さを比べた数字ではなく、同じ道がどこまで使われてきたかの目安として見てください。
いま、現物で確かめられること
この記事の数字は、いくつか手元で確かめられます。
- お手元のバイクの諸元表で、最高出力の回転数と最大トルクの回転数を見てください。 取扱説明書の主要諸元か、メーカー公式サイトの諸元表に載っています。その2つの間が何回転あるか。 車両によって1,000回転台のこともあれば、数千回転あることもあります。当時の50ccレーサーで使えたのは、そのどれよりも狭い500回転ほどでした。段数が多い理由は、この差だけで説明がつきます
- 原付の法定速度は、一般道で30km/hです。 道路交通法施行令 第11条第1項に「原動機付自転車にあつては三十キロメートル毎時とする」と定められています。RM63の最高速150km/hは、その5倍という数字です
- スズキ歴史館(浜松市)に常設されているのは、1962年のRM62です。 浜松市のサイトには「1962年、外国人ライダーが乗って、スズキ初のマン島TT優勝を飾ったRM62とマン島政府から寄贈された硬貨とプレートが展示されている」と書かれています。伊藤さんのRM63は、そのプレートに写真として刻まれているという形です。見学は事前予約制で、入館は無料です(スズキ歴史館公式サイト)。月曜日は休館です
コメント欄から
この動画には84件のコメントをいただきました。訂正すべき点のご指摘が含まれていたので、順に扱います。
去年8月にスズキ歴史館に行きました。沢山写真撮ってきて確認しましたが動画に写ってるナンバー2のバイクは、1962年にE.デグナーが優勝したRM62でしたよ。伊藤光夫氏が1963年に優勝した記事は有りましたが、RM63は展示してた記憶が有りませんでした。
ご指摘のとおりです。 浜松市のサイトにも、スズキ歴史館に常設されているのは1962年のRM62だと明記されています。実際に足を運んで写真で確認されたうえでのご指摘で、こちらの確認が足りていませんでした。ありがとうございます。
昔のイカレマシンとか3気筒50ccで16速ミッションとかどんな乗り足なのか…
いちばん多くの「いいね」が付いていたのがこちらでした(2026年9月時点)。段数は、資料の上では14段です。 その乗り味については、同じ時代の2気筒機に乗っていたスチュアート・グラハムの「ギアボックスで音階を奏でているようなもの」という言葉が、いちばん近いように思います。
信じられないほどピーキーで有効パワーバンドが500〜1000回転ほどしかなく、しかも それが11000〜12000rpmで発揮されるので絶対に回転をキープしたいが故に9速ミッションという とんでもないマシンだったらしい。
「500回転」という数字は、当時のライダーの証言と一致します。 ヒュー・アンダーソンの「使える回転の余地が500回転を超えることは一度もなかった」がそれです。回転をキープするために段数を増やしたという因果の向きも、クラシック50レーシングクラブの記述と同じです。
スズキをマン島、WGPに誘ったのは、、! 本田宗一郎
この話は、専門誌の記事では伝えられていますが、両社の公式資料では確認できていません。 モーターサイクリスト系の媒体には、1959年の暮れに東海道本線の車中で本田宗一郎がスズキの鈴木俊三に声をかけた、というくだりが載っています。ただしこれはスズキ公式・ホンダ公式のいずれにも見当たらないため、この記事では「そう伝えられている」以上のことは書きません。
なお、ホンダのマン島TT出場宣言が1954年3月であること、スズキの初参戦が1960年(125ccのRT60、市野三千雄選手が16位)であることは、それぞれ記録が残っています。時系列としては、ホンダが先に動いていました。
最後…法定速度で笑った 法定速度の壁は越えちゃダメだよね(建前)
白黒映像の時代に50ccで150㎞出るマシンが作れたんだねー
あのドラムブレーキとフレームにサスペンション、ママチャリタイヤで150㎞/hを出す気は無い。
タイヤの指摘は、仕様を見ると数字で裏が取れます。RM63のタイヤは前2.00-18、後2.25-18。 ブレーキは前後ともドラムです。150km/hを出す機械の足まわりとしては、いまの感覚では考えにくい構成でした。
伊藤光夫さんといえば、2輪レース引退後は4輪のフォーミュラージュニアでの優勝経験があったり
伊藤さんについてスズキ公式が書いているのは「1959年から1969年にかけて、スズキの社員ライダーとして二輪車世界ロードレース選手権をはじめとした国内外のレースに参戦し」というところまでです。四輪での戦績については、公式資料では確認できていません。 浜松市のサイトには、入社後は完成車を検査する部署に配属され、のちに研究部へ移って社員レーサーになった、という経歴が載っています。2018年には第1回MFJモーターサイクルスポーツ殿堂に選ばれました。
出典
引用元
- スズキ株式会社 ニュースリリース 2018年12月13日「1963年英国マン島TTレース日本人初の優勝者 伊藤光夫氏『第1回 MFJモーターサイクルスポーツ殿堂』入り」(日本人初の優勝者である伊藤光夫氏が選考された/1959年から1969年にかけて、スズキの社員ライダーとして二輪車世界ロードレース選手権をはじめとした国内外のレースに参戦し):suzuki.co.jp
- SUZUKI DIGITAL LIBRARY(スズキ公式デジタルアーカイブ)(In 1963, riding a Suzuki, Mitsuo Ito became the first Japanese rider to win the Isle of Man TT Races in the 50 cc class.):globalsuzuki.com
- 浜松市産業振興課「浜松ものづくり企業ナビ」(その110年を超える歴史の中で唯一優勝し、日の丸を掲げた人物が浜松にいた/1963年マン島TTレース50ccウルトラライトウェイトTTにおいて、スズキRM63を駆り優勝/9速ミッションで11馬力。最高時速は150kmに達した/1962年、外国人ライダーが乗って、スズキ初のマン島TT優勝を飾ったRM62とマン島政府から寄贈された硬貨とプレートが展示されている):hamamatsu-mononavi.jp
- Honda公式「WGP初優勝・初制覇(1961年)」(1961年の世界GPにおける日本人ライダー初優勝の記録):honda.co.jp
- ヤマハ発動機 公式 Racing Information Column vol.03(Under the new FIM regulation 50cc machines were limited to single-cylinder engines from 1969/A limit was also set on the number of gears in the transmissions, at six./These regulation changes led Honda and Suzuki to announce their withdrawal from World GP racing from the 1968 season. A year later Yamaha followed suit.):global.yamaha-motor.com
- Isle of Man TT Races 公式サイト(Crown Copyright)「How long does it take to do a lap of the TT?」(37.73-mile Mountain Course/ピーター・ヒックマンが2023年6月9日に記録した16m36.115s, averaging 136.358 mph):iomttraces.com
- e-Gov法令検索 道路交通法施行令 第11条第1項(原動機付自転車にあつては三十キロメートル毎時とする):laws.e-gov.go.jp
- Motorcycling New Zealand(ニュージーランド二輪連盟)Hall of Fame「Hugh Anderson」(He won the 125cc World Championship in 1963 and 1965/the 50cc world title in 1963 and 1964):mnz.co.nz
- スズキ歴史館 公式サイト(ご来館の際は事前にご予約をお願いします。/入館無料/毎週月曜日は休館日です):suzuki-rekishikan.jp
- Classic 50 Racing Club「Suzuki Works 50cc Racing Motorcycle」(RM62:8 bhp/ 10.500 rpm・Transmission: 8 speeds・Top speed: 90 mph/RM63:11 bhp/ 13.000 rpm・Transmission: 9 gears・Top speed: 93.2 mph・Tyres: 2.00-18 / 2.25-18/the engine produced a further 3 bhp and the speed increased by 3.2 mph. To better manage this increase the 1963 gearbox had been upgraded to a 9 speed version/RK65:The power band became narrower and that's why the RK 65 was given ten gears/RK66:16.5bhp/ 17.000 rpm・Transmission: 12 speed/RK67:17.5bhp/ 17.250 rpm・Transmission: 14 speed/The RP68 was never raced/ヒュー・アンダーソンの証言 You never had more than 500 revs to play with/スチュアート・グラハムの証言 The twin had power between 17,000 and 17,500rpm so you were playing a tune on the gearbox):classic50racingclub.co.uk
- モーサイ(Motorcyclist Web)「【遙かなるグランプリへ3】ホンダに続け! 偶然の出会いが生んだスズキ・マン島TT挑戦史」(1959年暮れの車中での本田宗一郎の言葉としていやぁ鈴木さん、おたくのレーサーはえらく良く走るが、T.T.レースに出してみたらどうかね!/スズキの初参戦は1960年、125ccのRT60で市野三千雄が16位):mc-web.jp
- WEB Mr.Bike「日本人唯一のマン島TTレース・ウイナー。伊藤光夫、マン島へ還る。」(レースは3周で行われた/2周を終えてデグナーと伊藤光夫の差はわずか3秒だったという。3周目、デグナーがマシントラブルでリタイヤ/伊藤光夫さんは、マン島で優勝した唯一のニッポン人なのだ):mr-bike.jp
確認できていないこと
- RP68の諸元(3気筒・19馬力/19,000rpm・14段)。愛好家団体と専門記事の記述に依っており、スズキ公式では確認できていません
- ヒュー・アンダーソンの50ccタイトルの年について、Classic 50 Racing Clubのページは1965年と1966年と書いていますが、ニュージーランド二輪連盟の記録は1963年と1964年です。この記事では連盟側の年を採りました
- 本田宗一郎が鈴木俊三にマン島出場を勧めたという逸話。専門誌の記事にはありますが、スズキ・ホンダ両社の公式資料では確認できていません
- 伊藤光夫さんの四輪での戦績。スズキ公式の記述は二輪の活動までです
- マン島マウンテンコースの通算死亡者数。主催者の公式サイトで通算数をまとめたページは見つけられませんでした。集計は、練習走行やマン島GP/クラシックTTを含めるかどうかで数が変わります
- 1963年のレースのラップごとのタイム差。専門誌の「2周終了時点で3秒」という記述以上のものは確認できていません
- RM63とRM62の車重。仕様表に記載が見つかりませんでした
本記事のチェックポイント
- RM63は排気量49.64ccで11馬力、最高速は約150km/h、変速機は9段でした
- 段数が多いのは速く走るためではなく、使える回転の幅が狭すぎて、そこから落ちないためでした
- 当時のライダーの証言では、使える回転の余地は500回転を超えなかったとされています
- 出力が上がるたびに段数は増え、1967年のRK67で14段に達しました
- 1969年からのFIM規則で、50ccは単気筒・変速機は6段までと定められ、段数競争は終わりました
- 「日本人唯一」が指すのはマン島TTでの優勝です。世界GPでの日本人初優勝は1961年の高橋国光さんで、別の記録です
- スズキ歴史館に常設されているのは1962年のRM62です。見学は事前予約制で、入館は無料です
