1周3秒速かった1本サス──ヤマハ・モノクロスの記録と「スズキが断った」話の出どころ
コメント欄でいちばん多かったのは「モノショックではなくモノクロス」という指摘でした。呼び名、1周3秒という記録、そして『スズキが特許を蹴った』という話がどこまで確認できるのかを、ヤマハ公式とティルケンス本人のインタビューから整理します。
「モノショックじゃなくて、モノクロスだよ」
動画のコメント欄でいちばん多く書き込まれたのは、称賛でも反論でもなく、名前の指摘でした。いただいた親コメント69件のうち、23件がこの呼び名に触れています。
そのとおりです。ヤマハ自身がこの技術に付けた名前は「モノクロスサスペンション」です。
そしてもうひとつ、この記事でお伝えしなければならないことがあります。動画では「スズキの技術チームが特許を却下した」という筋でお話ししましたが、この部分は、ヤマハ公式の記録にも、発明者ティルケンス本人のインタビューにも出てきません。 順番に見ていきます。
呼び名は「モノクロス」でした
ヤマハ発動機の公式サイトは、この技術を一貫してモノクロスサスペンションと表記しています。
1974年の市販モトクロッサーの説明にも、こう書かれています。
市販レーサーとして初めてモノクロスサスペンションを装備し、YZ250M(MはMonocrossの頭文字から)とも呼ばれた
車名の「M」がMonocrossの頭文字である、と公式が明記しています。呼び名の出どころとしては、これ以上ないほど明確です。
いっぽうで「モノショック(Monoshock)」も間違いではありません。北米やヨーロッパでは、当時からこの呼び方が広く使われていました。 現に、ヤマハの社内誌がティルケンス本人に行ったインタビューの見出しも "THE MONOSHOCK SYSTEM EXPLAINED" です。
日本での正式名称はモノクロス、海外で通用したのがモノショック。 動画のタイトルは後者を使いましたが、日本のライダーにとって馴染みがあるのは前者だった、ということになります。
各社が付けた名前
1本ダンパー化は、その後あっという間に4社へ広がりました。コメント欄でも12件の方が、この呼称の違いに触れておられます。
- ヤマハ:モノクロス(Monocross)
- ホンダ:プロリンク(Pro-Link)
- カワサキ:ユニトラック(Uni-Trak)
- スズキ:フルフローター(Full-Floater)
ただし、これらは同じ仕組みの別名ではありません。 後述するリンク機構の有無や配置が、それぞれ違います。
「タイムは悪いのでは」と言ったライダーが、3秒速かった
この技術のいちばん面白いところは、乗った人間の感覚と、ストップウォッチの答えが食い違ったことです。
ヤマハ公式の記録から引用します。1972年10月、ベルギーから送られてきた1本サス装着車を、天竜川の河川敷でテストしたときの第一印象です。
「パワーがないが、楽に走れる。でもタイムは悪いのでは・・・」が第一印象だった
ライダーは「速くない」と感じていました。 ところが。
1周約1kmのコースで3秒も速い。ライダーもエンジニアも仰天し可能性を確信した
1kmで3秒です。感覚がまるで当てにならなかったわけです。
同じことは、ベルギーでの最初のテストでも起きていました。契約ライダーは「遅くはないがパワー感がなく走らない」と言い、しかしラップタイムは落ちていない。このとき開発陣の野村和彦さんは、マフラーがへこんでいることに気づきます。本来のパワーが出ていないのに、速く走れている。
「速い」ではなく「楽」だと感じさせながら、実際にはタイムを削っていた。 これがこの構造の正体です。
そして1973年3月18日、全日本モトクロス選手権の開幕戦。ヤマハ公式は、会場の反応をこう記録しています。
「リアクッションがないぞ!」という声があちこちで聞こえる
ダンパーがタンク下のフレームに隠れていて、外から見えなかったからです。そのバイクだけがジャンプを高く飛んでいく。 125ccと250ccの両クラスで表彰台を独占し、国内メディアはこれを「空飛ぶサスペンション」と書き立てました。
コメント欄でも、4名の方がこの呼び名を覚えておられました。
なぜ1本のほうがストロークを稼げるのか
ここが、いちばん誤解されやすい部分だと思います。
「1本にしたから速くなった」という話ではありません。 効いているのは、ダンパーをどこに付けるかです。
従来の2本サスは、スイングアームの車軸寄りに付いています。この場所では、後輪が5cm動けばダンパーもほぼ5cm縮む。つまり後輪のストロークは、ダンパーの長さで頭打ちになります。
対してモノクロスは、支点(スイングアームピボット)の近くにダンパーを置きました。支点の近くほど動く量は小さいので、ダンパーが2cm縮むあいだに、後輪は5cm動ける。 てこと同じ理屈です。
結果、ヤマハ公式はこう書いています。
リアのサスペンションストロークが従来2本サスの倍近くにもなる
倍近く。 荒れた路面で後輪が路面を追いかけ続けられる余地が、それだけ増えたということです。
コメント欄にも、この仕組みを的確に説明してくださった方がいました。
スイングアームの車軸のあたりに取り付けられる2本サスペンションはスイングアームの可動域がサスペンション長に依存するが、スイングアームの支点付近に取り付けられる1本サスは、サスペンションの長さよりずっと長いスイングアームの可動域を作り出せる
まさにこの通りです。この「ダンパーの動き」と「後輪の動き」の比を、専門的にはレバー比と呼びます。付け加えるなら、同じストロークを2本サスで得ようとすると長いダンパーが2本必要になり、重くなります。短い1本で済むこと自体が、軽さにもつながっていたわけです。
ただし、いいことばかりではありません。 後輪が5cm動くあいだにダンパーが2cmしか縮まないということは、同じ体重を支えるのに、より強いバネと、より大きな減衰力が要るということでもあります。1本のダンパーに、仕事が集中する。 初期のモノクロスがオイルの発熱に悩まされたと言われるのは、この裏返しでもあります。
力の向きが「上下」から「前後」に変わる
もうひとつ、発明者本人が語っている利点があります。ヤマハの社内誌に載ったティルケンス自身の言葉です。
ダンパーが長いことで、より柔らかいサスペンションと、より大きな後輪の動きが可能になる(The length of damper allows softer suspension and more rear wheel movement)
リアサブフレームの剛性は、パワーをかけたときの操縦性を高める。そして長いダンパーによる荷重移動の改善は、エネルギーが上下ではなく後ろから前へ伝わることを意味し、ブレーキング時のコントロール性を高める
体で何が起きるかに翻訳すると、こうなります。
- 2本サス:ギャップを越えると、車体が上下に跳ねる。跳ねた後輪が前輪のラインまで狂わせる
- モノクロス:同じギャップで、衝撃が前へ抜けていく。後輪が路面から離れにくい
ティルケンスはこう続けています。「後輪が上下に跳ね、選んだラインから前輪を弾き出してしまうのではなく、ライダーが後輪の挙動をコントロールできるようになった」と。
「パワー感がないのに速い」という、あの奇妙な第一印象の正体がこれです。跳ねないから、速く走っている感じがしなかったのです。
「スズキが断った」という話は、どこまで確認できるのか
ここが、この記事でいちばん正直に書かなければならない部分です。
動画では「スズキの技術チームがこの特許を却下した」とお話ししました。裏を取り直した結果、この筋書きは一次に近い資料では確認できませんでした。
確認できたのは、次の2つです。
① ヤマハ発動機の公式記録
ヤマハ公式が書いているのは、スズキが断った話ではなく、ヤマハが見つけた経緯です。
契約ライダーのベルソーベンがGPチームを統括していた鈴木年則に呟いた。「面白いマシンがあるので、見に行こう」と
ここに出てくる「鈴木」は、ヤマハのGPチームを統括していた人物の名字です。メーカーのスズキではありません。混同されやすい箇所だと思います。
② ティルケンス本人のインタビュー
ヤマハの社内誌「YAMAHA CIRCUIT」に載った本人の証言では、経緯はこうです。
このころには2人(デコスターとヘボース)はどちらもスズキで走っており、この新型シャシーの話は日本にも伝わっていた。(中略)ティルケンスはデコスターとヘボースとともにスズキ向けのテストを行うことになった
まさにその同じ日、ルシアンが帰宅すると、アムステルダムのヤマハに電話をくれという伝言があった。(中略)一連の交渉のすえ、ティルケンスはヤマハと組むことを決めた
本人が語っているのは、「断られた」ではなく「同じ日にヤマハから声がかかり、交渉の末にヤマハを選んだ」ということです。「私はその決断を後悔したことがない」とも述べています。
「スズキの技術責任者が拒否した」「7日間の猶予を与えたが返事がなかった」という、より劇的なバージョンは、後年の英語圏のモトクロス専門メディアに見られる記述です。当事者の証言と食い違っており、この記事では事実として扱いません。
動画の訂正
動画のタイトルにある「スズキが蹴った特許」という表現は、確認できていない筋書きに寄りかかったものでした。 記事のほうを正としてください。
確実に言えるのは、スズキ勢のライダーがこの機構を早くから知っており、テストも行われていたこと。そして最終的にティルケンスがヤマハを選んだことです。
同じ理由で、動画の説明文に書いた「息子のクラッシュ事故を分析した」という発明のきっかけも、本人の証言とは合いません。ティルケンス本人が語っているのは、息子ギー氏は「事故の被害者」ではなく「テストライダー」だったという話です。
ルシアンには完璧なテストライダーがいた。機械工学の学位を目指して学びながら、趣味としてモトクロスを走っていた息子のギーである
そして最初のモノショック・シャシーが作られたのは1968年で、ギー氏がそれで公式レースに出たのは1972年のベルギー国内戦。事故がきっかけで作られた、という時系列にはなりません。 発明の動機として本人が挙げているのは、CZ400のパワーが扱いきれないのは「エンジンのせいではなくサスペンションのせいだ」という読みでした。
「世界初」には限定条件が要ります
「世界初のモノショック市販車」という言い方も、そのままでは正確ではありません。
後輪を片持ち(カンチレバー)で支える構造そのものは、1928年にイギリスのフィリップ・ヴィンセントが特許を登録しており、1936年から1955年の廃業まで、ヴィンセントの生産車すべてに使われ続けました。
ただし、ヴィンセントの機構はスプリング2本+フリクションダンパーで、「ダンパー1本」ではありません。カンチレバーであることと、モノショックであることは別の話です。
ヤマハ公式が「初めて」と書いているのは、あくまで次の限定つきです。
市販レーサーとして初めてモノクロスサスペンションを装備し
「市販レーサーとして」。1974年のYZ250Mは公道用ではなく、競技用の市販モトクロッサーです。
公道モデルへ本格的に広がったのは1980年でした。ヤマハの製品史では、この年にRZ250・XT250・XJシリーズなどが一斉にモノクロスを採用しています。コメントにあった「市販レーサーTZからのRZ(ロードモデル初)」という記憶は、時系列としてはよく合っています。
いま、現物で確かめられること
ご自身のバイクの後ろ側を、しゃがんで覗いてみてください。
- ダンパーは何本ありますか。 1本なら、この1973年の技術の子孫です
- ダンパーの下端は、どこに付いていますか。 スイングアームに直付けなら初期のモノクロスに近い形。三角形のリンク(ベルクランク)を介しているなら、その後の世代です
- ダンパーの上端は、どこまで伸びていますか。 初期のモノクロスはタンクの下、ヘッドパイプの近くまで届いていました。今のバイクは、そこまで長くないはずです
- リザーバータンク(別体の小さなタンク)は付いていますか。 これはオイルの量を増やして熱を逃がすための部品です。1本に仕事が集中する構造の、その後の答えのひとつだといえます
なお、カウルやスイングアームの陰でダンパーが見えない車種も少なくありません。 無理に覗き込まず、サービスマニュアルや車両の紹介ページの断面図で確かめるのが確実です。
コメント欄には、この「その後」を的確に押さえた指摘もありました。
すぐにスイングアームの根本付近に移って、各社工夫して特許回避してたね
モノサスが高性能ってよりプログレッシブ機構(バネレートが変化する様な最初柔く奥硬く)にしやすいのがモノサス
どちらもその通りだと思います。初期のヤマハ・モノクロスは、フレーム直結でリンクを持たない構造でした。後発の各社がリンク機構(ベルクランク)を挟んだのは、特許を避ける必要と、バネの効き方を途中から変えられる(プログレッシブにできる)利点の両方があったとされています。「1本にすること」より「リンクで効き方を作れること」のほうが、現代につながったという見方は、十分に成り立ちます。
コメント欄から
モノクロスサスっていうんだよね。タンク下やシート下にショックが横に寝ていてヤマハのアイデンティティ感あったよね。後にスズキのフルフローター、ホンダのプロリンク、カワサキのユニトラックとまあ元気な時代
呼び名の指摘は、いただいた親コメント69件のうち23件にのぼりました。記事の冒頭を、この訂正から始めた理由です。「タンク下にショックが寝ている」という描写も正確で、ヤマハ公式は初期型について「タンクレールに沿って陣取るショックアブソーバーに対して、エアクリーナーの配置が問題となった」と書いています。
モノショックのXT250を持ってました、空飛ぶサスペンションと呼ばれてた。当時主流だったXL250(二本サス)よりサスが優れていて、走りは遥かに良かったですよ。
XT250は1980年、ヤマハ公式の製品史でもモノクロス採用が明記されています。「空飛ぶサスペンション」は、1973年の全日本デビュー時に国内メディアが付けた呼び名でした。当時を実際に走った方の体感として、これ以上の裏付けはないと思います。
最初期のヤマハのモノクロスサスペンションはプログレッシブ効果の無い1本サスで、他の日本メーカー3社が次々と出して来たサスが、レバーの付いたカンチレバーサスペンションであり、プログレッシブ効果を発揮したサスペンションでした
初期モノクロスがフレーム直結でリンクを持たなかったことは、ヤマハ公式の記述とも整合します。 「理想的なモノサスは当時スズキが開発したフルフローターだった」という評価も併せて書いておられました。優劣の判定はこの記事では行いませんが、「1本にした最初」と「1本を最も洗練させた形」が同じとは限らないという指摘として、非常に重要だと思います。
サスペンションストロークの確保だけなら、2本ショックでもレイダウン配置で解決出来た、初期のモノクロスの最大の利点は左右のスイングアームを結ぶカンチレバーがスタビライザー効果を発揮しスイングアームの剛性が上がるのと、重量物であるサスペンションが中央に移動するのでマスの集中化が可能だった事の方が大きい
剛性とマスの集中という指摘は、ティルケンス本人の説明とも重なります。本人は「リアサブフレームの剛性が、パワーをかけたときの操縦性を高める」と述べており、ストロークだけが利点ではなかったことを認めています。ヤマハ公式も、開発の過程でリアアームを三角形にする発想が生まれたと記録しています。
ストロークは関係ないロードレースは、ワークスは各社の技術の宣伝で1本だが、剛性とセットアップの簡単さで最後まで2本サスを使ったモリワキもいた
ロードレースでの意味合いが違う、というのは押さえておくべき点だと思います。ティルケンス本人も「荷重移動の利点はロードレースでもモトクロスと同じように効く。加えて、サーキットに合わせて特性を調整しやすい」と、ストローク以外の理由を挙げています。
出典
引用元
- ヤマハ発動機 公式「オフロードマニア 第3節 モノクロスサスペンション誕生の軌跡」(ベルギーのリエージュ工科大学教授ルシェン・ティルケンズ博士/契約ライダーのベルソーベンがGPチームを統括していた鈴木年則に呟いた/「パワーがないが、楽に走れる。でもタイムは悪いのでは・・・」/1周約1kmのコースで3秒も速い/「リアクッションがないぞ!」/「空飛ぶサスペンション」/リアのサスペンションストロークが従来2本サスの倍近く/1974年、早くも市販モトクロッサーYZ250に搭載/リアアームを三角形にするという発想):global.yamaha-motor.com
- ヤマハ発動機 公式「ヤマハヒストリー 製品の歴史」YZ250M(1974年/市販レーサーとして初めてモノクロスサスペンションを装備し、YZ250M(MはMonocrossの頭文字から)とも呼ばれた)、RZ250(1980年/ヤマハ独自のモノクロスサスペンション)、XT250(1980年/リアには独自のモノクロスサスペンションを採用):global.yamaha-motor.com
- ヤマハ社内誌「YAMAHA CIRCUIT」ルシアン・ティルケンス本人インタビュー(1968年に最初のモノショック・シャシーを息子ギーのCZ360をベースに製作/1972年ベルギー国内戦パールに出走/デコスター、ヘボースとともにスズキ向けのテストを実施/まさにその同じ日にアムステルダムのヤマハから電話/交渉の末にヤマハを選び「後悔したことがない」/ダンパーが長いことで柔らかいサスと大きな後輪の動きが可能/エネルギーが上下ではなく後ろから前へ伝わる/1951年から1968年までリエージュ近郊の工業高等専門学校の教員):legends-yamaha-enduros.com(PDF)
- ヴィンセントのカンチレバー式リアサスペンション(1928年に特許登録/初期はスプリング2本とフリクションダンパー/1936年から1955年まで全生産車に採用):Graces Guide "Vincent-HRD"
確認できていないこと
- 「スズキの技術チームが特許を却下した」という筋書き。 ヤマハ公式にも、ティルケンス本人のインタビューにも、この記述はありません。後年の英語圏メディアに見られる記述で、本記事では事実として扱っていません
- 「息子のクラッシュ事故が発明のきっかけ」という説明。 本人の証言では息子ギー氏はテストライダーであり、最初のシャシー製作は1968年です。事故を起点とする時系列は確認できませんでした
- ホンダ「プロリンク」、カワサキ「ユニトラック」、スズキ「フルフローター」の各社公式サイトでの記述は、本記事では直接確認していません。 呼称と、リンク機構を持つ点までの確認にとどめています
- 初期モノクロスのオイル過熱と、1980年の短縮化・別体タンク化の経緯は、ヤマハ公式では確認できていません(専門メディアの記述です)
- コメントにあった「MR80が市販初」という説。ヤマハ公式の製品史では、市販レーサーYZ250M(1974年)が最初のモノクロス搭載モデルとされています
本記事のチェックポイント
- ヤマハ公式の呼称はモノクロスサスペンション。「モノショック」は海外で通用した呼び名です
- ライダーは「パワーがない」と感じ、1周約1kmで3秒速かった。感覚とタイムが食い違いました
- 効いているのは本数ではなく取り付け位置。支点の近くに置くと、てこの比で後輪のストロークが稼げます
- ティルケンス本人が挙げた利点は、ストローク・後部の剛性・力が前へ抜けることの3つでした
- 「スズキが特許を蹴った」話は、当事者の証言と食い違います。 本人は「同じ日にヤマハから声がかかり、交渉の末に選んだ」と語っています
- 「世界初」には限定条件が要ります。 片持ち構造は1928年のヴィンセント特許があり、ヤマハ公式の表記は「市販レーサーとして初めて」です
