「マレーシア仕様」とは何だったのか──ZX-12Rの350km/hメーターと、仕向地で中身が変わる理由
同じZX-12Rなのに、なぜ仕向地で出力が違い、なぜメーターは350km/hまで刻まれていたのか。日本の保安基準の条文、フランスの官報、EUの規則という一次資料から、仕向地違いという仕組みそのものを確かめます。
「マレーシア仕様? ちょっと何言ってるのか分からない」
コメント欄でいちばん伸びたのが、この一言でした。308件のいいねがついています。笑いどころとして書かれたものですが、これは真っ当な指摘だと思います。動画では説明なしに使ってしまった言葉だからです。
先に結論を書きます。「マレーシア仕様」は改造でも特別仕様でもなく、どこの国に売るために作られた車体か、という区分の呼び名です。 そして同じバイクなのに国ごとに中身が変わるのは、国ごとに法律が違ったからでした。ここは推測ではなく、条文を読めば確かめられます。
もうひとつ。350km/hまで刻まれたメーターは、保安基準の上で何の問題もありません。 速度計について定めた条文にも、そこが委任している技術基準にも、目盛りの上限を定めた規定が見当たらないからです。順番に見ていきます。
メーターの目盛りに、上限の定めはない
まず、いちばん確かめやすいところから。道路運送車両の保安基準の第46条(速度計等)は、こう書かれています。
自動車(最高速度二十キロメートル毎時未満の自動車及び被牽けん引自動車を除く。)には、運転者が容易に走行時における速度を確認でき、かつ、平坦な舗装路面での走行時において、著しい誤差がないものとして、取付位置、精度等に関し告示で定める基準に適合する速度計を運転者の見やすい箇所に備えなければならない。
求められているのは、運転者が容易に速度を確認できることと、著しい誤差がないこと、そして取付位置と精度です。「何km/hまで刻んでよいか」は、ここには書かれていません。
では、この条文が委任している告示のほうはどうか。国土交通省が出している「速度計の技術基準」(保安基準の細目を定める告示の別添88。国際的な協定規則第39号と調和したもの)には、こう書かれています。
速度の指示範囲は、当該自動車に対して自動車製作者が定める最高速度を包含するものであるものとする。
求められているのは「メーカーが定める最高速度を含んでいること」、つまり下限のほうです。 そのうえで目盛りの刻み方も決められていて、数値の表示についてはこうなっています。
- 数値標識の最高値が200km/h以下の速度計は、20km/h以下の間隔で表示すること
- 数値標識の最高値が200km/hを超える速度計は、30km/h以下の間隔で表示すること
読み飛ばしそうになりますが、ここが決定的です。この基準は「最高値が200km/hを超える速度計」の存在を、はじめから想定して書かれています。 上限を禁じるどころか、そういう速度計をどう刻むかまで決めてある。350という数字が並んでいること自体は、まったく問題にならないわけです。
つまり、メーターの数字は「出る速度」ではなく「表示できる範囲」にすぎません。350と刻まれていることと、そこまで出ることは、法律上も物理的にも別の話です。誤差のほうの基準についてはメーターの誤差の記事で扱っています。
専門メディアの記述では、2000年型のZX-12Rは350km/hのスピードメーターを採用していて、2001年からの速度自主規制が始まる前に滑り込む形で2000年にリリースされたとされています(Webikeプラス)。動画で「初期型だけが350km/hまで刻んだ」と紹介した部分は、ここに対応します。
同じバイクなのに、国ごとに中身が変わる理由
では本題の「仕向地」です。
いちばん分かりやすい例がフランスです。フランスには長らく、二輪車の出力を100馬力までに制限する独自の規制がありました。これは噂ではなく官報に載っている話で、2016年4月13日付の政令(arrêté)にこう書かれています。
…et possédant une puissance conventionnelle à la roue Pr supérieure à 73,6 kW peuvent être immatriculées.
73.6kWを超える出力の二輪車を登録できる、という条文です。73.6kWは馬力に直すと約100.1PS。フランスで「100馬力規制」と呼ばれてきた線が、これです。2016年4月15日から施行されたこの政令によって、それまで登録できなかった100馬力超のバイクが、フランスでも登録できるようになりました。 逆に言えば、それ以前のフランス向けは100馬力に抑えられていたということです。
この転換の背景にあるのが、EUの二輪車の型式認証を定めた規則168/2013です。この規則は2016年1月1日から適用され、フランスの政令は、それを受けて出された——というのが、フランスの二輪メディアの説明です。規則のどの条文が国ごとの出力制限を許さなくしたのかまでは、原文で特定できていません。 確かなのは、EU規則の適用開始と同じ年に、フランスの制限が終わったという時系列です。
日本にも同じことがありました。当時の国内向け二輪車には、排気量ごとに最高出力の上限を設ける自主規制がありました。 実際、1986〜87年のホンダの750ccは、公式リリースの諸元が3車種とも「77PS/9,500rpm」で揃っています(RC30の記事で並べました)。この自主規制は2007年に、日本自動車工業会と国土交通省が廃止で合意したと報じられています。
つまり「マレーシア仕様」「欧州仕様」「国内仕様」という呼び分けは、車体のグレードの話ではなく、どの国の規制を通した設定かという話です。 ZX-12Rが日本の中古車市場で「逆車」と併記されて売られているのも、この構造があってのことだと考えると、筋が通ります。
ただし、ここは正直に書いておきます。ZX-12Rの仕向地ごとの諸元を、カワサキの公式資料で確認することはできませんでした。 中古車の広告やオーナーの間では「欧州仕様178PS/マレーシア仕様181PS」という数字が定着していますが、その出どころとなるメーカー公式の諸元表には到達できていません。出力そのものも、資料で数字が揃いません。英語圏の資料は178.5馬力/9,500rpm、日本の専門メディアは178PS/10,500rpmで、回転数が食い違います。 複数の資料で一致しているのは、178前後という公称値と、ラムエア作動時の190馬力という2つだけです。
300km/hの上限は、誰が決めたのか
動画では「隼の300km/h超えに欧州政府が輸入禁止をちらつかせ、時速300kmの自粛協定を結んだ」と説明しました。ここは訂正します。
英語版Wikipediaは、2012年のCycle World誌の記事を出典として、1999年末に、BMWモトラッドと日本のメーカー各社の間で始まったものだと記しています。その理由については、主に欧州で二輪車の速度が政府に規制されることへの懸念からと書かれています。
「規制されるのではないかという懸念」と、「政府が輸入禁止を示唆した」は、別の話です。 後者を裏づける一次資料——欧州委員会や各国政府の文書、あるいは当時の公式発表——は、探した範囲では見つけられませんでした。動画は、メーカー側の予防的な判断を、政府からの圧力として語ってしまっていたことになります。
この自主的な上限については、隼の記事でも触れました。スズキ自身が公式インタビューで「現在では最高速度に明確な上限がある」と書いている一方で、誰と誰が、いつ、どう決めたのかを示す公開文書は確認できていません。 今回あらためて探しましたが、状況は変わりませんでした。
この記事で確かめた範囲
条文まで確かめられたのは、日本の保安基準第46条と、フランスの2016年の政令、そしてEU規則168/2013の適用時期です。 300km/hの上限については、メーカー側の合意だと報じられていることまでが確認できた範囲で、協定文そのものは今回も確認できていません。
「ギネスに載っている」は確かめられるか
コメント欄で102件のいいねを集めたのが、この書き込みでした。
気になったので、ギネス世界記録の公式サイトを調べました。「市販車最速」にあたる記録は見つけられませんでした。
公式サイトに掲載されている二輪の速度記録は、たとえば「Fastest motorcycle speed achieved」で、ロッキー・ロビンソン選手が2010年9月25日にボンネビル塩平原で記録した605.697km/hです。ただしこれはストリームライナーと呼ばれる専用の車体で、市販車ではありません。
312km/hという数字そのものが間違いだと言いたいのではありません。「ギネスに載っている」という形で確かめようとすると、その記録が見つからない、というのが調べた結果です。市販車の最高速は、測り方(追い風の有無、往復平均かどうか、ラムエアの効きかた)で簡単に数km/h動きます。そもそも公式記録として扱いにくい数字だと考えたほうが、実態に近いのだと思います。
いま、現物で確かめられること
- 自分のバイクのメーターの目盛りの上限を見てください。 180km/hか、240km/hか、299km/hか。上で見たとおり、その数字に法的な決まりはありません。メーカーが何を想定して刻んだのかを読む手がかりになります
- 保安基準の条文を、自分で開いてみてください。 e-Gov法令検索で「道路運送車両の保安基準」を開き、第46条まで下ると、本文で引用した条文そのものが読めます。委任先の技術基準(別添88)も国土交通省のサイトでPDFが公開されていて、200km/hを超える速度計の刻み方まで書いてあるのがそのまま確認できます
- 取扱説明書やメーカーサイトの諸元表で、最高出力を確認してください。 同じ車名でも、メーカーの欧州向けサイトに載っている数値と違っていれば、それが仕向地の差です。出力の自主規制は2007年7月に廃止で合意したと報じられているので、それ以降のモデルなら国内向けだからという理由で抑えられてはいないはずです
- 中古のZX-12Rを見る機会があったら、メーターの目盛りを確かめてください。 350km/hまで刻まれていれば2000年型の可能性が高い、というのが市場での通り相場です。実際、「A2のマレーシア仕様に乗っているが、メーターだけフルスケールに変えたい」というコメントもいただきました
コメント欄から
この動画には、返信を含めて163件のコメントをいただきました。ZX-12Rを所有している、または乗っていたと書かれたものが、数えられただけで12件。記事のほうが教わることになりました。
「マレーシア仕様」に触れたコメントは9件ありました。 冒頭の一言のほかにも、実際に所有されている方が何人もいらっしゃいました。
この「よく聞く単語だった」という感覚が、この記事の出発点です。 当時は説明が要らないほど通じた言葉でしたが、いま初めて聞く人には通じません。上で書いたとおり、これは国ごとの法律の違いが生んだ呼び名でした。
「ECUを書き換えれば出てしまう」という指摘もありました。 ECUに触れたコメントは4件で、そのうちZX-12Rの上限について書かれたものが2件です。
技術的にはそのとおりです。だからこそ、300km/hの上限は法律ではなくメーカー側の設定として置かれたものだ、という上の話とつながります。ただし、上限が法律で決まっていないことと、公道で出していいこととは、まったく別の話です。 日本の公道の最高速度は高速道路でも時速120km。300km/hは、どこで出しても取り返しのつかない違反になります。 北海道の直線について、こう書いてくださった方がいました。
路面は平らではない。 速度の話をするときに、いちばん抜けやすい前提を押さえてくださった書き込みだと思います。
加速についての証言は、揃っていました。
2000年の市販車ですから、いまの電子制御はほとんど載っていません。190馬力を、ライダーの右手だけで扱うという設計です。最高速の数字よりも、この2つのコメントのほうが、このバイクの性格を正確に伝えているように思います。
出典
引用元
- e-Gov法令検索「道路運送車両の保安基準」第四十六条(速度計等)(運転者が容易に走行時における速度を確認でき、著しい誤差がないものとして、取付位置、精度等に関し告示で定める基準に適合する速度計を備えること):laws.e-gov.go.jp
- 国土交通省「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示 別添88(速度計の技術基準)」(協定規則第39号と調和したもの/速度の指示範囲は自動車製作者が定める最高速度を包含すること/目盛標識は1・2・5・10km/hのいずれか/数値標識の最高値が200km/h以下なら20km/h以下の間隔、200km/hを超えるなら30km/h以下の間隔):mlit.go.jp
- Légifrance「Arrêté du 13 avril 2016 relatif à la puissance des motocyclettes définies à l'article R. 311-1 du code de la route」(2016年4月15日施行。ABSを備え、欧州の型式認証を受けた、車輪出力73.6kW超の新車の登録を認める):legifrance.gouv.fr
- EUR-Lex「Regulation (EU) No 168/2013」(二輪・三輪車および四輪車の型式認証と市場監視に関するEU規則。2016年1月1日から適用):eur-lex.europa.eu
- Guinness World Records「Fastest motorcycle speed achieved」(ロッキー・ロビンソン/605.697km/h/2010年9月25日/米ユタ州ボンネビル塩平原/Top Oil-Ack Attackストリームライナー):guinnessworldrecords.com
- Webikeプラス「ZX-12Rは最後の最速マシンにしてスーパースポーツの運動性を目指した異色モデル」(2000年型は350km/hのスピードメーターを採用/最高出力178PS・10,500rpm/2001年からの速度自主規制開始前に滑り込みで間に合わせる形で2000年にリリース):news.webike.net
- 英語版Wikipedia「Kawasaki Ninja ZX-12R」(公称133.1kW=178.5hp/ラムエア作動時190hp/電子的に約300km/hへ制限/300km/hの取り決めは1999年末にBMWモトラッドと日本メーカー各社の間で始まり、主に欧州で政府による速度規制が行われることへの懸念が背景。出典は2012年のCycle World誌):en.wikipedia.org
- webオートバイ「カワサキ『Ninja ZX-12R』2000年」(総排気量1199cc/乾燥重量210kg/178PS):autoby.jp
- レスポンス「バイクの馬力規制も撤廃へ 専門紙報道」(2007年7月6日。日本自動車工業会と国土交通省が馬力自主規制の廃止で合意):response.jp
確認できていないこと
- 「欧州政府が輸入禁止をちらつかせた」という経緯。 動画ではそう説明しましたが、それを示す政府側の文書や公式発表は見つけられませんでした。資料が書いているのは「政府による速度規制が行われることへの懸念」までで、メーカー側の予防的な判断として記録されています
- 300km/hの取り決めの協定文そのもの。 どのメーカーが、いつ、どういう文言で合意したのかを示す公開文書は、今回も確認できていません
- ZX-12Rの仕向地別の諸元。 「欧州仕様178PS/マレーシア仕様181PS」という区分は中古車市場では一般的ですが、カワサキの公式資料では確認できませんでした。最高出力の回転数も、英語圏の資料(9,500rpm)と日本の専門メディア(10,500rpm)で食い違っています
- EU規則168/2013のどの条文が、加盟国の出力制限を許さなくしたのか。 規則の適用開始時期は確認できましたが、該当条文の特定まではできていません
- 「隼の312km/hがギネスに載っている」という話。 ギネス世界記録の公式サイトで、市販車の最高速にあたる記録は確認できませんでした
- 2000年型(A1)と2001年型(A2)の具体的な変更点。 専門メディアでも整理された記述に到達できず、本文ではメーターの目盛りについての記述にとどめています
- 本文で引用した速度計の技術基準は、2006年の告示の版です。 2000年当時にまったく同じ文言だったかどうかまでは確認していません。ここは「いまの基準ではこうなっている」という話として読んでください
本記事のチェックポイント
- 「マレーシア仕様」は改造ではなく、どの国の規制を通した設定かという呼び名です。同じ車体でも、通す法律が違えば中身が変わります
- メーターの目盛りに法的な上限はありません。 技術基準はむしろ「最高値が200km/hを超える速度計」の刻み方まで定めていて、350という数字は「出る速度」ではなく「表示できる範囲」です
- 出力の国別制限は実在しました。フランスの100馬力規制は2016年4月の政令で終わり、日本の出力自主規制も2007年に廃止されたと報じられています
- 300km/hの上限は、政府の規制ではなくメーカー側の取り決めだと記録されています。 動画の「欧州政府が輸入禁止をちらつかせた」は、裏づけとなる資料を確認できませんでした
- 190馬力を電子制御なしで扱う設計。最高速の数字より、コメント欄の「腕と運に任せるしかない」のほうが、このバイクを正確に説明しています
